米中貿易戦争の行方
昨晩の日経CNBCテレビ「日経ヴェリタストーク」ですが、『こちら』でご覧になれます。
今晩は、日経CNBCテレビ「日経ヴェリタストーク」に出演しました。
24日、トランプ政権は対中制裁関税第3弾を発動。
2,000億ドルに10%の追加関税を課しました。
すでに発動されていた第1弾(340億ドル)と第2弾(160億ドル)とをあわせて、合計2,500億ドルが追加関税の対象に。
米国が中国から輸入する5,000億ドルのうち、半分が対象となったことになります。
さらにマーケットでは、「残りの半分、すなわち追加で2,500億ドルにも制裁関税が課されるかもしれない」と囁かれるに至っています。
これに対抗する中国の方はどうでしょうか。
中国はもともと1,500億ドルしかアメリカから輸入していませんので、報復措置にも限度があります。
米国の一連の動きを受けて、中国株(上海総合)は年初来17%ほど下落。
為替も1ドル6.51元(年初)から6.86元の元安に。
リーマンショック後には、4兆元の景気対策で世界経済を下支えした中国。
しかしこの結果、過剰債務を抱えることになり、中国政府としては、過剰債務問題に取り組み始めた矢先に襲ってきたのが、今回の「トランプショック」です。
それだけに中国としては影響が甚大だと言えるでしょう。
さて、我々はこうした米国の動きをどう見れば良いのでしょうか。
これは「米国中間選挙に向けての政治的パフォーマンス」に違いない。
米国も返り血を浴びるから、いずれは中国との間で妥協点を見いだそうとするはずだ・・。
― もしこう解釈するのであれば、年内にも落ち着くところに落ち着きそうです。
しかし、どうやら話はそう簡単でもなさそう。
というのも、米国では、「いずれ中国が米国を抜いて世界一の経済大国になる」と囁かれているからです(『こちら』)。
つまりこの問題の背後にあるのは、「世界経済の覇権」を巡る争い。
だとすれば、この問題は長く尾を引きそうです。
それに、そもそも米国の貿易赤字は5,660億ドルにも上ります(2017年;対前年比+12%)。このうち対中国で、3,429億ドルもの赤字。
一方で、中国は4,225億ドルの貿易黒字。
一国が恒常的に赤字を続け、もう一国が恒常的に黒字というのは、世界貿易の健全な姿ではありません。
米国から見ると、5,660億ドルを産み出す雇用(日本のGDPの12%に相当)が、米国の外に移ってしまったと見ることも出来ます。
とすると、米国としては、中国との間で簡単には着地点を見つけ出すことが出来ないのかもしれません。
中国からすれば米国はいちばんの輸出先。
全体の19%を占めます(『こちら』)。
仮にこの部分すべてに追加関税をかけられてしまうというのであれば、影響はかなり大きいと言わざるをません。
取りあえず中国としては、米国以外、すなわちEUや日本との貿易を活発化させようとするのでしょう。
しかし欧州も米国同様に中国に対しては危機感を抱いています。
中国が行うべきは小手先の解決策を講ずることではありません。
まずは、①知的財産権の保護、②外資に対して閉鎖的な国内市場の開放など、WTOの求め(『こちら』)に従った形での「改革」を進めること。
このことこそが、複雑化しつつある問題を解決に導く第一歩であるような気がします。
「えっ。全株ですか。」
「そうです。全株、売ってしまってください。」
私は日本の証券会社に電話でこう指示した。
世界中を震撼させたリーマン・ブラザーズの倒産(連邦破産法11条申請)が明らかになった2008年9月15日。
前週末に3ドル65セントを付けていたリーマンの株価は一気に下落し、何と21セントにまで落ち込んでいた。
「寄付きで売りますか。それとも20セントあたりで指値しておきますか。」
電話の向こう側で証券会社の営業マンの声が空虚に響く。
こうなってしまったらどうでも良かった。
リーマン・ブラザーズの株価は前年2月には86ドルを付けていた。
この高値に比べれば株価は99.8%下落したことになる。
言ってみれば1,000万円の金が僅か2万円になってしまった訳だ。
経営が破綻したのだから当たり前といえば当たり前だろう。
私がリーマン・ブラザーズの株を持っていたのは、5年前まで私がリーマンの幹部、すなわちマネージング・ダイレクターであったからだ。
投資銀行は年収が高いと言われているが、幹部クラスになると給与や賞与は現金で貰う分に比べて、自社株式の形で支給される割合が高くなっていく。
業界用語でいうペーパーマネー。
すぐには現金化出来ないカネという意味だ。
もちろん退職後5年を経過した今、私がリーマン・ブラザーズの株式を売ることについての制約は無くなっていた。
単に「自分が勤めていた会社の株」ということで思い出や記念の意味合いを込めて持っていたに他ならない。
それがまさか紙くず同然になろうとは、正直言って思いもよらなかった。
しかし、私などはまだましな方だ。
テレビではニューヨークのリーマン本社から私物を詰め込んでダンボールを抱えて出てくる社員の姿を映し出していた。
テレビ局のインタビュアーがマイクを向けて「社員の方ですか」と尋ねる。
「今朝までは社員だったよ。」
憮然とした表情で20代後半の若者がこう答えていた。
日本でもリーマン・ブラザーズの日本法人が東京地裁に民事再生法の適用を申請した。
負債総額3兆4千億円。
日本の経済史上2番目の大型破綻だ。
1,300人の従業員はどうなるのだろうか。
かつて一緒に働いていた同僚たちの顔が次から次へと目に浮かんでくる。
「岩崎さん、それでは今晩開くニューヨーク市場で売りの注文を出しておきます。」
証券マンの言葉に私は我にかえった。
これに続く一瞬の沈黙。
その間、証券マンは私に投げかける言葉を探していたのだろう。
私には余り適切な言葉とは思えなかったが、彼はこう言って電話を切った。
「それにしても随分と損をしましたね。」
受話器を置いて私は自分にとっての「一つの時代」が終わったように感じた。
退職後も私と投資銀行とを繋いできた目に見えない、ある種の結びつき。
それが株式の売却によって完全に無くなってしまったように感じたのだ。
(以上、拙著『リーマン恐慌』17-18頁より)
(写真はリーマンブラザーズの株券)
* * * *
世界中を震撼させたリーマン・ブラザーズの破綻から1ヶ月半ほどした2008年10月末。
私はニューヨークに来ていた。
10月末だというのに夏時間がまだ続いていて、ニューヨークの朝は7時になっても空がまだ薄暗い。
それでも街は出勤してくる人で賑わい、オフィスビルの8割以上には灯りがつき、中では出勤した社員が熱心にパソコンのモニターを見入っていた。
リーマン・ブラザーズの本社ビルに行ってみた。
ニューヨークの7番街745番地。
私がリーマンに在籍していた時に幾度となく訪れたビルだ。
あのころ、投資銀行はこの街の主役だった。
睡眠時間を削り、顧客とはげしくやりとりをし、大規模な案件をまとめあげていく中で、経済は拡大していき、社会は豊かになっていった。
そんな実感がたしかにわいてくる、刺激的な職場だった。
そんな一抹の感傷をあざ笑うかのように、ミッドタウンにあるこの高層ビルは、いつもと同じように朝コーヒーを片手に出勤してくる社員を次から次へと飲み込んでいた。
唯一の違いはビルの入り口の看板から「リーマン・ブラザーズ」の文字が消え、「バークレイズ・キャピタル」の文字に替わっていたことくらいだ。
(以上、拙著『リーマン恐慌』4-5頁より)
(写真はかつてのリーマンブラザーズのビル;08年10月撮影)
* * * *
リーマン破綻から10年。
当時書いた自分の本を読みなおしていました。
寝食忘れ、自分の寿命を削るような思いをして働いていた投資銀行時代。
そのとき得ていた報酬のかなりの部分はリーマンの株に置き換わっていたので、個人としてはかなりの経済的損失を被ってしまいました。
正直、10年前はショックだったのですが、今となっては、こうした経験は自分にとってプラスに働く面もあったように思えてきます。
リーマンショック前には見えなかったものが、見えるようになった、そんな気がしてくるのです。
あれから10年。
今年も東京で当時リーマンに勤めていた人たちの懇親会が開かれるとの連絡を受けました。
残念ながら私は出席できないのですが、幹事によれば200人近くが参加の予定とのことです。
『エッセイ風のこの文体は、とても高校生の書いたものとは思えない。清少納言が現代に来て書いたようだ』
作文の模試で採点員が書いたコメント。
このコメントが、ちびまる子ちゃんの著者、さくらももこさんの人生を変えたと言います(朝日新聞1日(夕刊))。
それまでのさくらさんは少女漫画を雑誌に投稿するも入賞せず、漫画家の夢を諦めていたのだとか・・。
ちょっとしたひとことが人生を良くも悪くも変えうる。
そう言った意味で、先生や先輩のひとことは重要です。
人生に限界はない(何歳になっても)。
ちびまる子ちゃんの何とも言えぬ穏やかな顔が好きでした。