寛政の改革を行った江戸中期の老中、松平定信が残した言葉に次のようなものがあります。
「女はすべて文盲なるをよしとす。
女の才あるは大に害をなす。
決して学問などはいらぬものにて、仮名本よむ程ならば、それにてことたるべし。
女は和順なることをよしとす」
明治初期はまだこの言葉が相当程度通用していた時代。
そのような時代に、女子教育の必要性を説いてまわったのが、中村正直博士(1832-91年)でした。
彼は十代から内々で蘭学を学び、早くから海外の事情に明るく、幕末の開国後はオランダ語より英語の方が必要だと知って、英語を学び始めたと言います。
ところが攘夷党から国賊視され、難をさけるため、(おそらくは)小栗上野介の計らいで、幕府からイギリスへ留学するよう命じられます(1866年)。
ロンドンに行った中村正直は当時すでに35歳。
にもかかわらず、小学校に入って小学生と机を並べて勉強。
ここで中村正直は驚きます。
それはなぜか。
イギリスの小学生の知識のレベルです。
先生が教室で、
「雨はどうして降るか」
「雷はなぜ鳴るか」
といったことを聞いてきます。
こうした先生の質問に中村正直は答えることが出来ません(語学の問題ではなく、当時、神童ともてはやされた幕末期の秀才でも、そもそも雨はどうして降るかが分からなかったのです)。
ところがイギリスの小学生たちは、さっさと答える。
「君たちはどうしてそんなことを知っているの?」
と聞くと、お母さんから聞いたという。
なにかにつけイギリスの母親の知識や識見の高いことを知った中村正直は、
当時の日本の母親を省みて心打たれるものがあったと言います。
「これではだめだ。
日本も女子教育に力をいれなければ、日本は危うい。
婦人がいまのままでは日本は外国と競争できない」
そう痛切に感じ、帰国後、明治の新政府の要人たちに対して、女子教育の必要性を説いてまわったと言います。
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以上のエピソードは先般ご紹介した『おんな二代の記』に出てくる一節。
この本の初めから4分の1くらいまでは、こうした明治の初期ならびに前半の頃のエピソードが満載。
私はたいへん興味深く読みました。
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ところで、この本を紹介した時の私のブログでは、
「こうした先駆者の活躍があって今の日本がある訳ですが、国際的にみると日本はまだまだ。World Economic Forumが発表した男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数によると、日本は149か国中110位でした」
と書いて締めくくりました。
そうした中で最近起きた「#KuToo運動」。
こうした状況を知るにつけ、日本ではまだまだ超えるべき壁がたくさんあるように思えてきます。
「#MeToo は分かるけど #KuTooって何?」
という方は、『こちら』や『こちら』をどうぞ。
海外でも日本のこの話が結構取り上げられています。