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2019年8月 3日 (土)

ALS

1980年。この年、私はスタンフォード大学ビジネススクールを卒業し、数週間ほど興銀ロサンゼルス支店で研修を受けた後、7月下旬に帰国しました。

興銀での新たな配属先は本店外国部総務班。

同じ部の企画班で班長をしていたのが、藤沢義之さんです。

常務になったばかりの黒沢さん(のちに頭取)から頻繁に電話が入り、黒沢さんのブレーンとして活躍していました。

その後(1982年)藤沢さんはロンドンに転勤となり、ロンドン興銀(IBJ International)社長に就任。

ほぼ同じタイミングで私は同じ外国部内で総務班から欧州班に移り、ロンドン興銀を含む興銀の欧州拠点管理、拠点政策企画立案の仕事をするようになりました。

そして1983年には興銀のシカゴ駐在員事務所に赴任。

米国企業にユーロ円債やデュアルカレンシー債の発行を勧め、藤沢さん率いるロンドン興銀につなぎ、社債の引受主幹事業務を(ロンドン興銀)に務めてもらう、そういった橋渡しのような仕事をしました。

シカゴから本店審査部に戻ってからは藤沢さんとの接点はなくなりましたが、たしか1994年~95年頃。藤沢さんが興銀の副頭取だったときに、チッソに対する金融支援のことを副頭取に説明に行ったときのことは、今でも鮮明に覚えています。

さて、その後、藤沢さんは2000年に日本興業銀行会長になり、更にメリルリンチ日本証券の会長に就任。

と、ここまで書けば順風満帆の人生ですが、ある日、新聞記事で読んで、私は驚きました。

2002年、藤沢さんは66歳の時に突然ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。

新聞記事は、藤沢さんが視線入力のパソコンを使いながら、雑誌などに寄稿していることを紹介していました。

(藤沢さんは一昨年に逝去されました。享年80歳)。

* * *

最近れいわ新選組から比例区特定枠で参議院議員になった舩後靖彦さんの記事をよく目にしますが、ALSは誰にでも突然襲いかかってくる可能性があります。

残念ながら、この病気の詳しいことはまだよく分かっていないようなのです。

* * * 

一連のALS報道を目にして、私は思わず、藤沢さんのことをこのブログに書いてしまいました。

新聞記事によれば、藤沢さんが病床で書いた英語スピーチの表題は「A POSITIVE LIFE」だったと言います(『こちら』)。

突然の不運にもかかわらず最後までPOSITIVEに生きられた藤沢さん。いま目を閉じると浮かぶのは、40代半ばで外国部企画班長を務めていたころの藤沢さんです。颯爽たる風姿が印象的でした。

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