始まりはダーパのプロジェクトだった (その1)
ダーパ(英語で DARPA)。
米国国防高等研究計画局(Defense Advanced Research Projects Agency)の略称です。
ダーパは、インターネットやGPSの「産みの親」としても知られています(『こちら』や『こちら』)。
自動運転車の場合はどうでしょう。
自動運転車については、すでに1980年代から、米、独、日などで開発が進められていました(1920代まで遡れるという説もあります;『こちら』)。
2003年、デンソーは、トヨタ自動車と共同で、ミリ波レーダーセンサーで前方車両や障害物との衝突を予測し、衝突前にシートベルトの巻き取りやブレーキ制御を行うシステムを開発しています(『こちら』)。
この技術は、同年2月発売のトヨタ・ハリアーに世界で初めて搭載されました。
一方、これとは全く別のアプローチで、最初から完全に無人の自動運転車の開発を考えたのがダーパ(DARPA)です。
2004年、ダーパ(DARPA)は、無人自動車による走行競技「ダーパ・グランド・チャレンジ(DARPA Grand Challenge)」を開催します。
米国議会は、このプロジェクトを「基礎研究と軍事利用との橋渡し(bridge)を担うプロジェクト」と認定、
プロジェクト勝者に賞金1百万ドル(約1億円)を授与することを認可します(『こちら』)。
つまり「ダーパ・グランド・チャレンジ」は、最初から、自動運転技術を軍事目的でも使うことを展望してスタートしたのでした。
走行競技における規定走行距離は142マイル(約230キロメートル)。
これを完全自動運転(無人車)でもっとも速く完走した車を開発したチームを優勝チームとし、賞金1百万ドル(約1億円)を授与する予定でした。
しかし・・・。
何台もの無人車が参加しましたが、残念なことに、142マイルの規定距離を走破出来た車は1台もありませんでした。
最も長い距離を走った無人車は、「サンドストーム(砂嵐)」と名付けられたカーネギーメロン大学の無人車。
この車は、参加した車の中で最長の距離を進みましたが、それでもたったの7マイル(11キロ)を走れただけ。
11キロ進んだ時点で岩にぶつかり、それ以上走ることが出来なくなりました。
この結果、2004年の「ダーパ・グランド・チャレンジ」では勝者はなく、どのチームも賞金を獲得することが出来ませんでした。
翌年もダーパは同種の競技を開催。
今度は賞金が2百万ドル(約2億円)に引き上げられていました。
この間、たったの1年間ですが、実はこの1年間で状況は一変していました。
第2回目の「ダーパ・グランド・チャレンジ」では、なんと約200台の無人車が競技に参加。
このうち5台の車が規定走行距離(今度は132マイル;212キロ)を完走したのです。
このとき、もっとも速く完走し、走行競技「ダーパ・グランド・チャレンジ」を制覇したのは、スタンフォード大学の無人車でした。
「スタンレー(Stanley)」と名付けられたスタンフォード大学の無人車は規定走行距離を6時間54分(平均時速31キロ)で走破したのです(『こちら』)。
(スタンレー;From Wikimedia Commons)
見事優勝を果たし、賞金2百万ドル(2億円)を手にしたのはセバスチアン・スラン(Sebastian Thrun;当時37歳)。
スタンフォード大学コンピューター・サイエンスの准教授(associate professor)で、無人車「スタンレー」を開発したチームのリーダーでした。
(ダーパのプロジェクトに優勝し喜ぶスラン;
https://www.cnbc.com/video/2019/08/17)
実は、ダーパのレース会場では、スランの快挙をじっと見守っていた人がいました(『こちら』)。
周囲に気づかれないように帽子をかぶり、サングラスをかけながら、レースをこっそり見に来ていた人物。
この人物こそがグーグル創業者の1人、ラリー・ペイジでした。
ペイジに説得され、2007年、スランはグーグルに入社します(『こちら』および『こちら』)。
そして2010年には、Astro Teller、Yoky Matsuoka(現パナソニック㈱・フェロー)とともにグーグルXを設立。
こうしてスランはグーグルでの自動運転車開発を牽引していくようになったのです。
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