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2020年2月22日 (土)

中国全体の感染者数のうち湖北省が83%

2月20日付けのWHOによる Situation Reports(『こちら』)。

Who

中国全体の感染者数 74,675人のうち、湖北省が83%を占めます(上図)。

中国以外では、韓国、日本、シンガポールの感染者数が、他の諸国に比べて多くなっています(下図)。

Who2

ダイヤモンド・プリンセスでの感染者は、国別の数字には含めず、表の一番下に掲載されています。

なお図はクリックすると大きくなります。

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2020年2月16日 (日)

社会的に責任のある役割を選ぶ(choosing a socially responsible role)

最近のスタンフォード大学ビジネススクールの卒業生たちの進路はどのような状況なのでしょうか。

ビジネススクールの就職報告書(『こちら』および『こちら』)によると、

2019年に卒業した409人のうち、企業などに就職したのは70%。

    Stanford

残りの30%は、

(1)自分で起業した(15%)、

(2)企業派遣でビジネススクールに来たため元の会社に戻った(8%)、

(3)博士課程に進むなど、引き続き学問を続けることにした(3%)など。

 

企業などに就職した人たち(70%)の就職先は:

・プライベートエクイティ、ベンチャーキャピタル、投資顧問などの Finance(金融系)(33%)

・グーグルなど Technology (テクノロジー系)(24%)

・マッキンゼーなどコンサルタント(18%)

・ヘルスケア(医療、医薬)(6%)

・運輸(4%)

私が卒業した1980年には進路先として投資銀行が多かったのですが、今では1%しかありません。

企業などに就職することを選んだ人たちの初任給の平均は:

2,720万円(基本給1,680万円、入社契約金310万円、賞与730万円)。

これは平均であって、年収の高い人は初任給でも9,900万円に達します。

 

特筆すべきは、18%の卒業生が、たとえ年収は低くとも、社会的に責任のある役割を選んだ(choosing a socially responsible role)。

この18%には、(1)就職先としてNPOなどを選んだ(2)自分で社会的に責任のある役割を果たすべく起業した

といったケースなども含まれます。

社会的に責任のある役割と言っても、イメージが掴みにくいかもしれません。

スタンフォード大学ビジネススクールの就職報告書(『こちら』および『こちら』)では、卒業生の一人、アビオドゥン・ブアリ(Abiodun Buari)さんの例を挙げています。

ブアリさんは、ナイジェリア、ラゴスの貧しい地域からやってきました。

(そもそもスタンフォードビジネススクールでは学生の41%が米国外の出身です)。

ブアリさんは、母国ナイジェリアで苦学して、最優秀とされる大学をひじょうに優れた成績(with distinction)で卒業。

しかし彼は多くの人に支えられて大学まで行けたことをけっして忘れなかったといいます。

ビジネススクールを卒業するにあたって、ブアリさんは次の3つを重視して進路を決めることにしました。

(1)貧しい人たちの生活の為に役に立つ仕事につくこと

(2)商品であれサービスであれ、アフリカに大きな足跡を残すものであること

(3)テクノロジー系の組織であること

「アフリカをもっと良くしたい。

アフリカの未来はテクノロジーにある。

アフリカにおいては、金融、農業、ヘルスケアの分野でテクノロジーが大きな役割をはたしているんだ」

ブアリさんはこう語ります。

そして職場として、Remitly Inc.という会社(『こちら』)を選びました。

   Remitly

    (Remitly のウェブサイトより)

Remitlyは、モバイル・テクノロジーを使って海外送金を安価に、しかも安全・迅速に提供する会社です。

アフリカなどの途上国から先進国に出稼ぎや移民で来ている人たちがいます。

彼らの多くは、故郷の家族や親せきを養うために祖国へ送金をします。

こうした人たちにRemitlyのサービスを提供することで、いまなお貧しい国で生活する人たちや移民の人たちの生活を根本から変えたい(transformしたい)。

ブアリさんはこう考えて卒業後はRemitlyで働くことにしたのです。

「そもそも何故スタンフォードのビジネススクールに来ることにしたのですか」

こう質問する記者に、ブアリさんはこう答えたといいます。

「スタンフォードビジネススクールのキャッチフレーズ(tagline)にほれ込んだんですよ。

生活を変えよ、組織を変えよ、世界を変えよ

(Change Lives, Change Organizations, Change the World)

とのフレーズに、ね」

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2020年2月 2日 (日)

創造の論理はあるか

『伊東俊太郎先生をお招きして“創造の論理はあるか”とのテーマでサロン的な小規模勉強会を開きます』

紺野登多摩大学大学院教授からこんな誘いを受け、昨日、勉強会(セミナー)に出席してきました。

      Seminar

        (セミナーの模様;紺野登教授撮影)

伊東先生は日本を代表する科学史家・文明史家。

1991年に定年退官するまで東京大学教授を務め、かつて東宮家の科学方面の教師を務められていました(Wikipediaより)。

以下、昨日の伊東先生の話のエッセンス

【1】創造の論理は無いとする意見

科学哲学者であり、論理経験主義の代表的主唱者であるハンス・ライヘンバッハ(Hans Reichenbach, 1891年ー1953年)は、『科学哲学の勃興(The rise of scientific philosophy 1951)』の中で、『科学的発見の論理(logic of discovery)は無い』と述べている。

いわく、『科学的発見を説明することは論理学者のすることではない』。

つまりライヘンバッハによれば、『創造の論理は無い』ということになる。

カール・ポパー(1902年ー1994年)は純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱したことで有名だ。

彼もまた『どんな発見も非合理的要素を持つ』とし、発見の論理に否定的だった。

【2】創造の論理は有るとする意見

しかし私(注:伊東先生)は、科学的発見は合理的プロセスの結果でもあり、創造の論理は有るのではないかと考えている。

そもそも論理的思考とはどういったものか。

(1)演繹法(deduction)

一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法。

演繹の代表例として三段論法がある。

「人は必ず死ぬ」という大前提、「ソクラテスは人である」という小前提から

「ソクラテスは必ず死ぬ」という結論を導き出す。 

(2)帰納法(induction)

 個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする論理的推論の方法。

「人であるソクラテスは死んだ。人であるプラトンは死んだ。人であるアリストテレスは死んだ。したがって人は全て死ぬ」 

と一般化させる。

演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない。 

これら2つの論理的思考よりも更に発見の論理に近いものとして、次の「アブダクション」がある。

(3)アブダクション(abduction)

飛躍的な直観的推論。

アメリカの哲学者、チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce、1839年―1914年)は、演繹、帰納に対する第三の方法としてアブダクションを強調。

結論b に規則「a ならばb である」を当てはめて仮定a を推論する。

帰納が仮定と結論から規則を推論するのに対し、アブダクションは結論と規則から仮定を推論する。

ここでの問題は a という仮定、仮説をどう立てるかにある。

(4)帰納法(induction)も発見につながるのではないか

例えば、ボイルの法則、すなわち気体の圧力(P)と体積(V)を掛け合わせたものは一定である(PV=constant)は、帰納から導かれたものではないだろうか。

さらに、

(5)演繹法(deduction)も発見につながるのではないだろうか

 ロバート・フック(Robert Hooke、1635年ー1703年)は、移動する物体は何らかの力を受けない限りそのまま直進する(慣性の法則)とし、更に引力は距離が近いほど強くなると述べた。

アイザック・ニュートン(Isaac Newton、1642年ー1727年)はフックの考えを発展させ、逆二乗の法則にたどりついたが、

これなども演繹と言えるかもしれない。

〔岩崎注:ちなみにニュートンは、どうしてそんなにたくさんの発見を出来るのかと聞かれたとき「問題の解決は、突然のひらめきによってなされたのではなく、たゆまぬ継続的な思考の結果である」と述べた(『こちら』)。〕

ピタゴラスの定理も補助線を加えれば証明できるもの。

つまり演繹法で発見できるものだ。

それでもこの発見は驚きに値する。

  Photo_20200202202901

(6)アブダクション(abduction)についてもう少し詳しく説明したい

アブダクションは発見そのものの論理だ。

「新しい理論の創造はアナロジー、類推から生まれることが多い。(略)発見的思考法にはアナロジーが大切で、私は発想の“グノーモン構造”(gnomonic structure)と呼んでいる」(『こちら』)。

      Gnomon

 グノーモン構造は洞察力に近い概念で、デザインや幾何学に通じるものでもある。

(7)このほか発見の論理学としては、integration(統合)や、極限化も重要だ。

(8)またシステム化(Systemization)についても述べておきたい

ドミトリ・メンデレーエフ(Dmitri Mendeleev、1834年ー1907年)が提唱した元素の周期表が良い例だろう。

        Photo_20200202212701  

         (出所:Wikimedia Commons;CC-BY-SA-4.0)

ある一定の規則に従って、元素を並べていき、先に周期表が出来た。

その時には、埋まらない空欄も多くあったが、これらはいずれ発見されるはずだと考え、事実、人類はその後、これらの空欄を埋めるべく、新しい元素を発見していくことになる。

これなどは、Systemization が発見に結び付いた例だ。

【3】湯川さんによる中間子理論(1934年)について

最後に湯川さんによる中間子理論(1934年)を考えてみる。

1932年にジェームズ・チャドウィック(James Chadwick、1891年ー1974年)が中性子を発見する。

すると直ちにヴェルナー・ハイゼンベルク(Werner Heisenberg、1901年ー1976年)らが「原子核は陽子と中性子から 構成されている」 との考えを提唱。

ここで電気的にニュートラルな中性子とポジティブな陽子がなぜ結びつくのか、いわゆる核力の問題が浮上した。

この問題に対しては当初ベータ崩壊を使った理論での説明が試みられたが、上手くいかない。

湯川さんは,ベータ崩壊のように電子やニュートリノが放出されるのではなく、中性子が陽子と未知の粒子に分かれ、その粒子が陽子に受け取られ中性子になる、と考えた。

この間に力が働き、原子核をつくる結合力になると、この粒子の交換により中性子は陽子に、陽子は中性子に絶えず変化していく。

この未知の粒子が中間子である。

媒介の役を担うので、中間子は中国語では介子(バイシ)と言っている。

中間子の理論的発見にはモデルがあった。

それはハイゼンベルクやパウリによる「場の量子論」である。

ハイゼンベルグによれば「陽子と電子の間に電気力が働くのは、陽子から光量子が出て電子に吸収され、そして電子からまた光量子が出て陽子に吸収される、このキャッチボールにより力が働く」と電磁場の力(電気力)を説明した。

湯川さんは、これと同じで、今度は陽子と中性子の間に重量子=中間子のやりとりがあるとし、核力を説明した。

つまり「場の量子論」のアナロジーである。

ここで、原子核をつくる陽子と中性子の二つの粒子はある距離の間は強い力が働くが、ある距離以上離れると全然働かなくなる。

この特別な性質を説明しなければならない。

ハイゼンベルクの不確定性理論を用いて、中間子(重量子)の質量を計算すると、100MeV、電子の質量の約200倍になる。

それくらいの質量の新しい粒子が見いだせれば、核力を説明できることになる。

湯川さんはこの200倍という数字を頭の中で繰り返していたという。

湯川さんが原子核の核力を媒介する新しい粒子は電子の200倍であるという、中間子の存在の理論予測の結果を得たのは1934年10月。

室戸台風が去った後だと鮮明に記憶しているという。

もしかすると、台風一過が創造性にも作用したのかもしれない。

なぜ湯川さんは、世界に先駆けて、この核力の理論、中間子の理論を創り出し得たのか。

ハイゼンベルクは湯川さんにとって先生であり先輩に当たる競争相手だが、なぜハイゼンベルクではなく湯川だったのか。

湯川さんの中間子理論は、ハイゼンベルクの「場の量子論」を核力の場にアナロジカルに適用したわけだが、ハイゼンベルクと湯川さんの間ではっきりと異なる点がある。

「場の量子論」は、陽子と電子の間で光量子のやり取りがあり、電気力が生じる場合は交換されるが、陽子は陽子、電子は電子で実体の変化はない。

一方、中間子理論の場合、陽子と中性子の間で中間子のやり取りがあり、核力が生じるが、その中間子の交換により陽子は中性子に変わり、中性子は陽子に変わる。

たえず実体が交互に変化し、千変万化の中で核力が働くとする。

ヨーロッパでは、実在の根底には不変な「実体」があるとする考え方の伝統がある。

これに対して東洋の伝統は、一切が諸行無常の縁起によって生じると考える。

東洋の伝統の中で育った湯川さんの中に「この考え方のモチーフが潜んでいた」と想定することも可能かもしれない。

かつて湯川さんは谷川徹三氏との対談で、

「素粒子というものはできたり消えたりするものですね。

これはむしろ“諸行無常”という言葉がピッタリとするものですね。

・・・あるものがなくなり、あらわれたり、また姿を変えるということが自然のあり方ですね」

と述べている。

実際ハイゼンベルク自身、「湯川が中間子を発見したのは、彼が東洋の伝統の下にあったから」という趣旨の言葉を残している。

今や素粒子の世界では、素粒子が千変万化し諸行無常だというのは物理学者の常識だが、

以前は違って、世界の根底をなす粒子は不変だと考えられていた。

このように変わった契機は湯川さんの中間子理論だった。

湯川さんは、核力の問題を解決した中間子理論だけでなく、そこから始まる素粒子論という領域を開拓し、その基本的パラダイムを作ったのである。

創造には二つあり、一つは既存の領域で新たな事実や法則を発見し定式化すること、

そして、もう一つは、新しい領域そのものを生み出すことだ。

思うに、本当の創造性とは、第一に、外のものをどん欲に取り入れることで生まれる。

と同時に、自分の伝統の中にあるものを生かすことで生まれてくる。

湯川さんによる中間子の発見は、この2つのポイントを教えてくれるように思う。

* * *

以上が、伊東先生によるレクチャーのエッセンス(なお、これをまとめるにあたり、一部、『こちら』を参考にさせて頂きました)。

【4】レクチャー後のセミナー参加者コメント、質問など

レクチャーの後のセミナー参加者の主な質問、コメントは次の通り。

・『本日の話は、科学の発見に関するもの。私は、イノベーションに論理があるか、つまりどういったプロセスなりロジックでイノベーションが生まれるかに興味ある。本日の話と同じように考えてよいか』

・『本日の先生の話、それ自体があくまでも仮説ではないか』

・『イノベーションの点で聞きたい。どうして日本企業は遅れをとってしまったのか』

・『若い研究者が研究に関する予算を獲得する際には、仮説をたて、それを研究することに対してのペーパーワークの提出が結構大変だ。自由な発想が行われにくい』

・『イノベーションのプロセスなりロジックを研究する国にイノベーションは生まれない。先月亡くなられたクリステンセン氏も日本で言われているほど米国ではメジャーに扱われてはいない。自分は東大の大学院で教えているが、教え子たちにはイノベーション学の研究などしないで、さっさと起業しろと発破をかけている』

* * *

なお昨日の勉強会の主催者である紺野先生の『イノベーション全書』が先週末、新しく刊行されています。

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