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2021年5月22日 (土)

MINAMATA(その2)

ジョニー・デップ製作主演の映画『MINAMATA』は、写真集『水俣 MINAMATA』が原案となっています。

これは写真家ユージン・スミス氏とアイリーン・美緒子・スミスさんとの共著。

1971年9月、ユージン・スミス氏とアイリーン・美緒子・スミスさんは、寝台特急「なは」で水俣駅に降り立ちます。

2人は10日前に婚姻したばかり。

スミス氏52歳、アイリーンさん21歳でした。

その後、夫妻は水俣で3年間暮らします。

今回の映画に関連し、アイリーンさんが西日本新聞(『こちら』)や朝日新聞(『こちら』)とのインタビューに応じています。

「裁判が続いている現在の水俣病にも光が当たれば良いし、

『被写体と読者に対して限りなく正直で公正であることがジャーナリストの責任だ』

と繰り返した彼の精神が世界中に伝わればうれしい」

アイリーンさんはこう語っています(『こちら』)。

映画のオフィシャル・トレーラーとは別に、ベルリン国際映画祭の new clip official も3点公開中。

いずれも1分少々の短い動画です(『1』『2』『3』)。

* * * * * * * * * * *

昨日のブログで、水俣病、チッソについて過去に書いたブログのリンクを記載しましたが、幾つか拾いもれがありました。

『宝子』(2007年1月28日)

『新聞協会賞』(2006年9月7日)

また昨日の記事の最後に記した英文は、

下記(2008年1月23日、朝日新聞)の翻訳です。

Photo_20210522165701

     (クリックすると大きくなって読めます)

2007年5月4日『熊本日日新聞』↓

Photo_20210522172701

西日本新聞社編『水俣病50年』 ↓

50

最後の画像で『米国なら恐らく、とうの昔にチッソを破たんさせている』と書かれていますが、

そんなに簡単なわけでもありません。

以下、熊本日日新聞社編『水俣から、未来へ』の一節(同著173頁)。

 「チッソ県債」を編み出す作業に携わった八木橋惇夫氏の発言を紹介する記事です。

「ああいうことをしでかした企業には、最後まで十字架を背負っていってもらうというのが私の考えだった」。

(中略)

1977年から2年間、環境庁の保険企画課長を務め、被害者からすれば本末転倒ともいえる「チッソ県債」を編み出す作業に携わった八木橋惇夫氏(69)は当時の思いをこう語った。

(中略)

「あそこで支援しなければ、チッソはむしろ喜んだかもしれない。

倒産して、新しい会社になってしまえば関係なくなるわけだから」。』

水俣病に関しては刑事罰も問われました。

1976年5月、熊本地方検察庁はチッソの吉岡喜一元社長と西田栄一元工場長を業務上過失致死傷罪で起訴。

1979年3月、熊本地方裁判所は両人に対し禁固2年、執行猶予3年の有罪判決。

その後、福岡高裁は控訴棄却、1988年2月、最高裁判所は上告を棄却し有罪判決が確定しました(判決全文は『こちら』)。

Photo_20210522182401

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