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2021年7月30日 (金)

我々の道しるべ(Fingerposts)はいずれも未来を指している

日経ヴェリタス紙および日経新聞電子版にほぼ月1のペースで連載しているコラム。

おかげさまで今回で15回目になりました(今回新規掲載分は『こちら』)。

Fingerpost

これまでの1回~14回をご覧になりたい方は、『こちら』に入って頂き、マウスを下にスクロールしてください。

NEWSPAPERS & MAGAZINESのセクションに行くと、1回~14回の全てのサイトへのリンクが貼ってあります。

それにしても次の言葉が参考になります(今回の記事より)。

「テクノロジーの業界では、改善・改良に留まるということは、ゆっくりと死んでいくことを意味する。

必要なのは今までの成功を否定する勇気だ。

新しい製品を出した結果、現在成功している自社の製品は売れなくなるかもしれない。

しかしカニバリゼーション(共食い)を恐れてはいけない。

10年に1回といった割合で完全に自己破壊して、全く新しく会社を立ち上げる、つまり『リインベント』(reinvent)するくらいのことが必要だ」

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2021年7月25日 (日)

ジェンスン・ファンさんの話

前回の続きです。

叔父さんの不注意が原因で、間違った学校に送られてしまったジェンスン・ファンさん。

まだ9歳だというのに、たった一人、異国の地です。

しかもこの学校(?)は、問題を起こした児童や生徒の更生を目的とする施設。

ルームメートは刑務所帰りの17歳。

この施設はこれまで外国人を受け入れたことがなく、そもそも所在地のケンタッキー州オネイダには、中国人や台湾人がやってきたことさえありませんでした。

ウィキペディアで調べると、オネイダは人口410人と出てきます。

ジェンスン・ファンさんは結局この学校(施設)に9歳から11歳まで2年間いることになりますが、 

問題児たちに何度も袋叩きにされ、午後は彼だけがいつも便所掃除をさせられるといった有様。

英語も満足に話せなかったでしょうから、毎日毎日、恐らくは生きた心地がしなかったのではないかと思います。

それでも当時のことを振り返って、ジェンスン・ファンさんは、

「貴重な経験だった」

と言います。

「おかげで、不快や苦しみに耐えることが出来るようになったんだ」

さて、その後、漸くと言うのでしょうか、ジェンスン・ファンさんの両親も米国にやってきて、一家はオレゴン州に落ち着きます。

そしてここからの人生はまともです。

ジェンスン・ファンさんは、高校時代にコンピューターに興味を持つようになると同時に、

卓球の全米チャンピオンになったこともあるのだとか。

大学はオレゴン州立大学(Oregon State Univ.)に進み、電子工学を専攻。

その後、スタンフォード大学の大学院で同じく電子工学の修士を取得。 

卒業後は、半導体(プロセッサー)の設計者として、AMDに採用されます。

しかしすぐにAMDからLSI Logic社に転職。

そして1993年2月17日。

ジェンスン・ファンさんが30歳になったその日でした。 

彼はLSI Logic社を退社。

恐らくは30歳の誕生日に辞めると決めていたのでしょう。

このときジェンスン・ファンさんは持っていたLSI Logic社のストックオプションを全額現金化して、 

それで得た1500万円を起業の為に使うことを決断します。

ちなみに1993年というと、ウィンドウズ3.1の時代です。

「これからはグラフィック・チップの時代が来る。

このテクノロジーによってコンピューター画面の色彩、音楽、動きが圧倒的に進化する。

これを使えばコンピューター・ゲームはもっとずっと楽しくなる」

こう彼は信じ、当時サンマイクロで活躍していたクリス・マラコウスキーとカーティス・プリームの2人と共に

エヌビディア社を設立します(1993年4月5日)。

ジェンスン・ファンさんを含む共同創業者3人は各々2万円ずつを新設する会社に出資し、会社の20%ずつを保有することにしました。 

この2万円が現在の彼の個人保有資産1兆6000億円になっているということになります。

エヌビディアに最初に投資したVC(ベンチャーキャピタル)はセコイア(Sequoia)とサターヒル(Sutter Hill)の2社で、彼らは両社で2億円を出資しています。

2009年、ジェンスン・ファンさんは母校スタンフォードで講演を行っています。

その時の様子が動画となってネットにアップされています。

最初の5分間と最後の1分間が音の調子が悪くてよく聞こえませんが、残りの55分間は素晴らしい内容。

ビジネススクールの授業を聞くよりも勉強になります。

『こちら』です。

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2021年7月18日 (日)

『母は子どもたちに英単語を覚えさせようと、毎日10の単語を辞書から適当に選び、その単語の意味と綴りを子どもたちに学ばせました』

破竹の勢いで進む米半導体大手のエヌビディア。

株価は1年前に比して約80%高(404.92ドル → 726.44ドル)。

もっとも最近時1週間に限って言うと株価は急落していて、1週間で11%下落(820.50 → 726.44)。

現在の時価総額は約50兆円。

トヨタの1.5倍ほどあります。

世界の時価総額ランキングで見ると第15位。

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さて、この会社を率いるのは共同創業者兼CEO(最高経営責任者)のジェンスン・ファンさん。

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       (Photo: From Wikimedia Commons)

台湾生まれの58歳の方です。

ウィキペディアやフォーブスなどによると個人の保有資産(恐らくはエヌビディアの株式なのでしょう)は、1兆6000億円。

エヌビディアが破竹の勢いを示しているのは、ジェンスン・ファンさんによるところが大きいのですが、

アップルのスティーブ・ジョブズやアマゾンのジェフ・べゾスに比べれば、日本ではあまり報じられることがなかったように思います。

ジェンスン・ファンさんの父親はキヤリア(Carrier Corporation)という名のエアコンの会社に勤めるエンジニアでした。 

ジェンスン・ファンさんが5歳か6歳の頃、お父さんは会社の研修で米国ニューヨークを訪れ、衝撃を受けます。

1960年代後半のニューヨーク。

当時の台湾とは何もかも違って見えたのでしょう。

すぐに子どもたちには米国で教育を受けさせようと決心します。

ジェンスン・ファンさんのお母さんは英語がまったく分かりませんでしたが、子どもたちを米国にやるに際して、英語を学ばせねばと考えました。

『母は子どもたちに英単語を覚えさせようと、毎日10の単語を辞書から適当に選び、その単語の意味と綴りを子どもたちに学ばせました』

『英語が全く分からなかった母は子どもたちが正しく発音しているのかどうかも分からなかったのだと思います』

当時のことを振り返り、ジェンスン・ファンさんはこう語ります(『こちら』)。

その後、一家は台湾からタイに移り住むことになります。

そして1972年。

ジェンスン・ファンさんが9歳の時でした。

タイの政情も悪くなり、 ジェンスン・ファンさんの両親は取りあえず2人の子どもを米国に送り出すことを決心します(『こちら』)。

すでにジェンスン・ファンさんの伯父さんは米国に住んでいて、雑誌の広告に載っていたボーディング・スクール(全寮制の寄宿学校)を選びます。

ジェンスン・ファンさんが行くことになったのは、ケンタッキー州オネイダにあるOneida Baptist Institute。 

実はここは抗争や暴力で問題を起こした児童や生徒を対象とした更生目的の施設でした。

まったく何という学校を伯父さんは選んでしまったのでしょう。

この学校にたった一人送り込まれた9歳のジェンスン・ファンさん。

ルームメートは何と刑務所から出所してきたばかりの17歳の男。

体中、刺し傷だらけでした。 

(続きは次回書きます)

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2021年7月11日 (日)

スペリングビー

スペリングビー(Spelling Bee)は、子どもたちを対象とした英単語のスペリング(つづり)力を競う大会です。

アメリカでおよそ100年続く国民的イベント。

たとえば次の単語のスペルは?

querimonious(不満が多い)

solidungulate(蹄の数が一つである単蹄類の動物、ウマ科)

Nepeta(シソ科イヌハッカ属の多年草でハーブの1種)

上の3つは今年実際に出題された単語なのですが、これらの単語を見事に綴り、決勝に勝ち進んだのは、

Chaitra Thummalaさん(12歳、サンフランシスコ)と

Zaila Avant-gardeさん(14歳、ルイジアナ州、ニューオリンズ)

の二人。

そしていよいよ決勝戦。

チャイトラ(Chaitra)さんに出された単語は neroli oil 。

彼女はこれを、nereli oil と綴ってしまいます。

一方で、ザイーラ(Zaila)さんは、Murrayaを正しく綴り、見事、優勝の栄冠を勝ち取りました。

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この時の模様は動画となって公開されています(『こちら』)。

驚いたのは、スペリングビーの100年近くの歴史(最初の大会は1925年)の中で、アフリカ系米国人が優勝したのは、

今年の彼女が最初であるとのこと。

今まで出現しなかったのが不思議です。

更にもうひとつ、今回私が初めて知ったのは、

スペリングビーの大会には、米国のみならず、

カナダ、バハマ、ガーナ、そして日本(!)

からも競技者が参加したのだとか・・(『こちら』)。

優勝したザイーラ(Zaila)さんの姓(Last Name)は前衛的と言う意味のAvant-garde。

もともとはフランス語らしいのですが、日本でも、アバンギャルドなファッション、とか言われます。

ファミリーネームとしては、ちょっとカッコいい名前ですね。

ザイーラさんはバスケットボール関係で3つのギネスブック記録を持つことでも知られています。

『こちら』でその動画をご覧いただけます。

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2021年7月 7日 (水)

モデルナ・アーム

新型コロナウイルスのワクチン2回目接種を終えて、3日ほどしてから腕が腫れ始めました。

腫れはだんだんとひどくなり、接種後1週間経った今日は写真のような状況。

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ネットで調べてみると、「モデルナ・アーム」とか「COVIDアーム」と言うのだそうです。

モデルナ社製ワクチンの臨床試験(治験)では、1回目接種後に0.8%、2回目接種後に0.2%の人で起きたとのこと(『こちら』)。

そしてファイザー社製ワクチンでも起こることがあるとのことです。 

私の場合、ファイザーで、1回目は何ともなく、2回目に腫れが生じました。

ネットの記事によれば、20日もすれば自然に消えるとのことですので、しばらく放置して経過観察します。

これ以外の副反応は何もなかったので、最初は「きちんと抗体が出来ているのかな」と疑問に思ったりもしました。

これだけ腫れると、ワクチンはきちんと身体に届いていることが分かります。

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2021年7月 1日 (木)

ブンヤシット・チョクワタナー氏

私がブンヤシット・チョクワタナー氏にお会いしたのは、興銀の審査部に在籍していた時。

今から30年ほど前のことだ。

ブンヤシットさんは、タイの財閥の総帥にもかかわらず、腰が低く、『能ある鷹は爪を隠す』を地で行くような人だった。

それから後もブンヤシットさんのことはずっと私の記憶に残り、2017年、日経ヴェリタス紙に『Money Never Sleeps』という連載コラムを書いていた時に彼のことを記事にした(『こちら』)。

そして今日、ブンヤシットさんが日経新聞の『私の履歴書』に連載を始めた。

今月は毎朝、日経朝刊を読むのが楽しみになる。

  Saha1

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