« 『母は子どもたちに英単語を覚えさせようと、毎日10の単語を辞書から適当に選び、その単語の意味と綴りを子どもたちに学ばせました』 | トップページ | 我々の道しるべ(Fingerposts)はいずれも未来を指している »

2021年7月25日 (日)

ジェンスン・ファンさんの話

前回の続きです。

叔父さんの不注意が原因で、間違った学校に送られてしまったジェンスン・ファンさん。

まだ9歳だというのに、たった一人、異国の地です。

しかもこの学校(?)は、問題を起こした児童や生徒の更生を目的とする施設。

ルームメートは刑務所帰りの17歳。

この施設はこれまで外国人を受け入れたことがなく、そもそも所在地のケンタッキー州オネイダには、中国人や台湾人がやってきたことさえありませんでした。

ウィキペディアで調べると、オネイダは人口410人と出てきます。

ジェンスン・ファンさんは結局この学校(施設)に9歳から11歳まで2年間いることになりますが、 

問題児たちに何度も袋叩きにされ、午後は彼だけがいつも便所掃除をさせられるといった有様。

英語も満足に話せなかったでしょうから、毎日毎日、恐らくは生きた心地がしなかったのではないかと思います。

それでも当時のことを振り返って、ジェンスン・ファンさんは、

「貴重な経験だった」

と言います。

「おかげで、不快や苦しみに耐えることが出来るようになったんだ」

さて、その後、漸くと言うのでしょうか、ジェンスン・ファンさんの両親も米国にやってきて、一家はオレゴン州に落ち着きます。

そしてここからの人生はまともです。

ジェンスン・ファンさんは、高校時代にコンピューターに興味を持つようになると同時に、

卓球の全米チャンピオンになったこともあるのだとか。

大学はオレゴン州立大学(Oregon State Univ.)に進み、電子工学を専攻。

その後、スタンフォード大学の大学院で同じく電子工学の修士を取得。 

卒業後は、半導体(プロセッサー)の設計者として、AMDに採用されます。

しかしすぐにAMDからLSI Logic社に転職。

そして1993年2月17日。

ジェンスン・ファンさんが30歳になったその日でした。 

彼はLSI Logic社を退社。

恐らくは30歳の誕生日に辞めると決めていたのでしょう。

このときジェンスン・ファンさんは持っていたLSI Logic社のストックオプションを全額現金化して、 

それで得た1500万円を起業の為に使うことを決断します。

ちなみに1993年というと、ウィンドウズ3.1の時代です。

「これからはグラフィック・チップの時代が来る。

このテクノロジーによってコンピューター画面の色彩、音楽、動きが圧倒的に進化する。

これを使えばコンピューター・ゲームはもっとずっと楽しくなる」

こう彼は信じ、当時サンマイクロで活躍していたクリス・マラコウスキーとカーティス・プリームの2人と共に

エヌビディア社を設立します(1993年4月5日)。

ジェンスン・ファンさんを含む共同創業者3人は各々2万円ずつを新設する会社に出資し、会社の20%ずつを保有することにしました。 

この2万円が現在の彼の個人保有資産1兆6000億円になっているということになります。

エヌビディアに最初に投資したVC(ベンチャーキャピタル)はセコイア(Sequoia)とサターヒル(Sutter Hill)の2社で、彼らは両社で2億円を出資しています。

2009年、ジェンスン・ファンさんは母校スタンフォードで講演を行っています。

その時の様子が動画となってネットにアップされています。

最初の5分間と最後の1分間が音の調子が悪くてよく聞こえませんが、残りの55分間は素晴らしい内容。

ビジネススクールの授業を聞くよりも勉強になります。

『こちら』です。

|

« 『母は子どもたちに英単語を覚えさせようと、毎日10の単語を辞書から適当に選び、その単語の意味と綴りを子どもたちに学ばせました』 | トップページ | 我々の道しるべ(Fingerposts)はいずれも未来を指している »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『母は子どもたちに英単語を覚えさせようと、毎日10の単語を辞書から適当に選び、その単語の意味と綴りを子どもたちに学ばせました』 | トップページ | 我々の道しるべ(Fingerposts)はいずれも未来を指している »