みずほの20年
日経の金融部長、河浪さんが書いた『みずほ、迷走の20年』を読みました。
私自身、興銀を離れてから24年が経っており、みずほの設立(02年4月)も、3行経営統合合意の発表(99年8月)も知りません。(退職したのは、それより前の98年11月)。
そういった意味で、完全な部外者である私が、一読者として、本書を読んだだけなのですが、印象に残った箇所を一つ、二つ。
著者による80年代の記述で、
『日本経済に必要だったのは、世界をリードする次世代産業を自らつくっていく「先端国家型の経済システム」だった。それには新ビジネスの成功と失敗を効率よく切り分ける市場機能が必要になる。銀行の判断に頼る間接金融ではなく、よりビジネスの自然淘汰を可能にする直接金融が適切だ』(本書212-13頁)。
これは賛否両論ある記述だとは思いますが、たしかに市場機能をもう少し上手く利用できていれば、失われた20年とか30年は防ぎ得たような気もします。
バブル期、日本企業は大量にワラント債やCBを発行。
ほとんどゼロ金利で調達した資金を財テクでの運用に回しました。
しかし、そこには「資本コスト」や「希薄化」の視点が欠落していました。
本来、銀行はそうした企業行動に対して助言できる立場にあった訳ですが、
企業価値を極大化するための助言がきちんと出来ていたのかどうか。
そもそも銀行自らが、「銀行自身にとっての企業価値極大化とは何か」を把握しきれていなかったのではないか。
以下、再び本書からの引用。
『85年のプラザ合意以降、・・銀行は間接金融のシステムを温存したまま、これまでの産業金融から不動産金融へと突き進む』(213頁)。
* * * *
ところで書棚を整理していたら興銀を辞めた時の辞令が出てきました。
発令日が11月29日となっているのは、(はっきりとは覚えていませんが、たしか)
「健康保険か厚生年金か雇用保険か、何らかの理由で、月末日を異動先の企業の入社日とした方が良い」。
そんな説明を当時の興銀人事部から受けた気がします。
辞めていく人に対して、そんな気配りをしてくれる組織でした。
今から24年前。
当時、私は45歳でした。
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