ウサギとカメの投資術
「ウサギは自分を過信しすぎて勝負を急ぐあまり途中で没落していく。一方、カメは遅いようでもちゃんとゴールに入っている」
こう説いたのは是川銀蔵(1897年~1992年)。
「最後の相場師」との異名を持ち、1982年の高額所得番付1位となった人です。
(是川銀蔵の銅像;公益財団法人是川奨学財団のホームページより)
是川は兵庫県赤穂の漁師の家に7人兄弟の末っ子として生まれます。
上の兄たちは全員尋常小学校までしか行かせてもらえませんでしたが、彼は高等小学校まで通わせてもらえました。
そして小学校を卒業した後、小さな貿易商、「好本商会」の丁稚となります。
好本商会はイギリスから毛織物を輸入し、日本の手芸品を輸出するという会社でしたが、1914年に倒産。
是川が16歳の時でした。
丁稚で稼いだ20円を旅費にして、16歳の是川は神戸から中国・大連に渡り、現地の洋服生地問屋の「井上商店」の世話になります。
しかし数ヶ月で大連を飛び出し、日本軍の後を追って山東半島へ。
17歳の時に青島で貿易商社「小山洋行」を設立。
しかし軍の高官に対して饗応を行った容疑で逮捕されてしまいます。
未成年の為、無罪釈放とはなりますが、店や預金、その他一切の財産を番頭に譲り、いったん帰国。
是川18歳の時でした。
半年後、再び中国に渡り、商売に励みましたが、非鉄金属相場の下落などに見舞われ、一文無しとなって19歳で帰国。
このように是川は10代のときから波乱万丈の人生を歩みます。
高等小学校しか出ていなかった是川が経済学を学ぼうと思い立ったのは、31歳の時。
妻と子ども4人を抱え、家賃や米代も払えない貧窮生活の中で、3年間、毎日のように京都・嵐山から大阪の図書館へ通い続けました。
新京阪鉄道の社長に頼み込んで雑役夫用の無料乗車券を入手。それでも往復5キロは毎日歩く羽目に。
図書館では、経済学のみならず政治の本も読み漁り、世界各国の数十年にわたる経済統計を調べ、物価、景気、株価の変動や消費動向を徹底的に分析しました。
そしてひと通り勉強した後で、株式投資の世界に身を投じようと決意したのです。是川が34歳の時です。
しかし41歳の時に株式投資の世界から身を引いてしまいます。
実は是川が投資の世界で有名になったのは80歳を過ぎてからなのです。
そんな是川が教える投資の心構えを日経新聞『投資力を磨こう』のコラムに書きました。
電子版は『こちら』です。
紙の方は、8日(日曜日)発売の日経ヴェリタス紙に掲載されます。
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