『墨子を読みなさい』
2021年1月に90歳で亡くなった作家、半藤一利さん。
妻でエッセイストの末利子さんによると、亡くなる日の明け方ごろ、半藤さんは末利子さんに話しかけ、「墨子を読みなさい。2500年前の中国の思想家だけど、あの時代に戦争をしてはいけない、と言っている」と話したといいます。
私にとって墨子は30年ほど前にビッグコミックで連載されていた漫画『墨攻』程度の知識しかなく、当然のことながら『墨攻』の主人公『革離』は墨子の教えの「忠実な実践者」ではありましたが、墨子ではありません。
漫画『墨攻』の原作は酒見賢一が書いた小説で、後にアンディ・ラウ主演で映画化もされています。
さて話を墨子に戻しましょう。
墨子を書いた本はいろいろあるのでしょうが、半藤さんの書いた本があれば、それを読もうと思って探したところ、ありました!
半藤一利著『墨子よみがえる』。
以下、半藤さんの本から墨子についての記述で印象になったところを少し。
「天下の大害とは、『墨子』によれば、大国が小国を攻めること、大氏族が小氏族を凌辱すること、強者が弱者を食いものにすること、富者が貧民に横暴をはたらくこと、などなどである。それらが起こるのは、まず秩序を重んじて、人びとにそれぞれ長幼・貧富・貴賤などランクづけして個別に扱う「別愛」の立場であるからこそである。それは根本的に間違っている」(本書44頁)
「墨子は、わが意見に反対の者たちよ、歴史に学べ、ということをいっている。そして(中略)政治を正しく行った過去の例をいくつも具体的にあげる。大旱魃のとき、一身を犠牲にして降雨を祈り雨を降らせた殷の湯王、万民のために公明正大な政治を行った周の文王や武王などなど」(本書45頁)
墨子は非戦の思想家として知られていますが、魯迅(1881年ー1936年)が、非戦を説く墨子を題材にして小説を書いています。
以下、半藤さんの文章で、この小説のさわりの部分を紹介してみます。
* * *
「大国である楚の王に宮仕えをしている技術者の公輸盤なる男が、雲梯という攻城の兵器をつくり、それを使って小国である宋を侵略しようとしている」
「墨子は熱をこめてこの不敵な技術者を説得しようとする。(中略)公輸盤は、しかし、もう王の命令がでているから、俺には何ともならぬと答える。墨子はねばって、それなら王に会わせろ、という」
墨子は公輸盤とともに楚王に面会。
墨子は「公輸盤のほうに向き直って、それならばその雲梯とやらを使って私のつくる城を見事に侵略してみるか、と挑戦する。つまり模擬戦争」の提案である。
「公輸盤は、機をみて攻めること九度に及んだが、墨子は九度ともこれを防いだ」
「『俺の負けだ』と公輸盤はいった。『しかし(中略)俺には最後の一手がある』」
* * *
公輸盤は、最後の一手については、これを言わずにいましたが、
墨子は、それは自分をこの場で殺してしまうことだろうと見破ってしまいます。
そして楚王に対して、
すでに秘策を授けた弟子300人を宋に派遣してあるので、自分が殺されても弟子達が必ず宋を守ると答えて、
楚王を説得。
楚王は宋を攻めることを断念したとのことです。
* * *
これは魯迅が墨子について書いた小説を半藤さんが記したもので、やや分かりにくかったかもしれません。
しかし墨子がただ単に非戦を唱えていただけでなく、(1)具体的に行動を起こして、かつ(2)出来るだけロジカルに戦争が割に合わないことを為政者たちに説得していたことが伝わるエピソードだと思います。
なお、本書は墨子について書かれた本ですが、半藤さんはしばしば脱線します。
私には、この脱線があることで、却って気軽に読め、肩ひじ張らずに、頁をスムーズに進むことが出来ました。
それに語られている雑談もどれも勉強になりました。
その一つとして出てくるのが、半藤さんが最近読んだというジャン・バコン教授著『戦争症候群』の紹介。
半藤さんによれば、この本には戦争に関する強烈なシミュレーション結果が出てくると言います。
『コンピューターを駆使しての綿密に計算・予測された数字として:
2000年~2050年にかけて起こる戦争の数:120
この間の核戦争の数:1回
この1回の核戦争による死者:36億人
上記を含むこの50年間の戦争による死者45億5000万人(世界人口の40.5%)』
バゴン教授のシミュレーションはなんとしても外れて欲しいと願うばかりですが、
現在の為政者たち(とくにかつて墨子が生きた中国の為政者たち)には墨子をもっと知ってもらいたいと思いました。
なおこの本の巻末にはアフガニスタンで長年にわたって活躍された故中村哲氏と半藤さんとの対話が収められています。
そう言えば本書第7話で半藤さんは中村さんのことを「現代日本の墨子」とたとえていましたが、「なるほどな」と思いました。
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