日銀“大規模緩和”の舞台裏(2012~13年)
新しい日銀総裁候補が公知になる前の2月8日(水)に放送されたBS-TBS「報道1930」。
『こちら』の動画で、19分14秒~1時間4分5秒にかけて、2012年~13年当時の大規模緩和の舞台裏について伝えています。
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【1】当時の状況(この部分は動画にはなく、私が追記しました)
2012年11月14日、党首討論(野田首相 vs. 安倍総裁)
野田首相は、「衆院を解散し、総選挙を実施する」旨を表明。
前日(11/13)の日経平均は8,661円、為替1ドル=79.64円(TTM)
経済の先行きに不安感が漂い、大企業は新卒者の採用に消極的となっていた。
選挙(12/16投票日)では、安倍総裁率いる自民党が「物価上昇目標を2%に設定し、大胆な金融緩和を求める」と訴え圧勝。
政権交代(民主→自民)。
12/18 白川日銀総裁が自民党総裁室を訪問。安倍総裁と面談。
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【2】以下、上記動画からの関係者発言(一部のみ抜粋)
(1)西村清彦氏(当時の日銀副総裁)
『(政治からの)プレッシャーがあまりに強いために、私も
場合によっては、抗議の辞任というようなことも考えなければいけないような状態になるかもしれないんだと思っていた』
『政治に、いわば、もみくちゃにされて(日銀の)独立性が崩れるように見えるような状況になったとするならば、
政治がいわば強要するような形で、金融政策の根幹に当たる部分に手を突っ込んでくるということっていうのは、私は耐えられなかったということです』
(2)木内登英氏(当時の日銀政策委員会審議委員(2012~2017))
『日本銀行は国民の為に金融政策を決めている。
一方で、政治の世界の人たちと違って、選挙で選ばれていない』
『にもかかわらず金融政策を決めるという権限を与えられている』
『民意をどう吸い上げていくかというのは常に悩んでいた』
『(当時)日銀法改正をちらつかされた。
どこを改正するかというと、例えば、総裁の解任権などは有力なので、そうすると(日銀の)独立性はもっと下がってしまう』
(3)加藤出氏(東短リサーチ チーフエコノミスト)
『当時の空気は、たいへん、閉塞感が日本経済に強かった。
そこを「打開するには思い切った金融政策」という安倍さんたちが掲げたところに世論が惹きつけられていった』
『当時の閉塞感は、いま10年経って改めてクリアに見えてきたが、金融緩和策で解決できるものではなくて、もっと構造的な問題』
(4)再び木内氏の発言から
『2%の物価上昇はこの時の経済状況からすると、あまりにも高すぎる。
ここに金融政策を結びつけると、いわゆる「終わりのない金融緩和」になってしまって、
それはバブルをつくるかもしれないし、いろんな歪みをもたらしてしまう。
そこらへんが、私が物価目標に反対した理由』
『この10年間、日本銀行はいろんなことをやってきたが、実は金利はそんなに下がっていない。
短期金利で言うと、+0.1%だったものが、いま-0.1%だし、
10年の金利で言うと、0.8%だったものが、いま0.5%くらい』
『日本銀行が異例の金融緩和をやっている間は、国債を発行しても金利は上がらない、
いまが財政出動のチャンスだという議論がこの10年間ずっとあったように思う。
結果的に政府債務が増えた』
『政府債務は将来の人の需要を奪ってくるから、どんどん先行きの成長の期待が下がってくると、
企業もあまり投資をしなくなる。
そうすると生産性も落ちてくる』
『政府債務が増えることで、むしろ成長する力を落してしまった』
『(日銀が保有するETFは37兆円(22年9月末)だが)ETFを持っていると株価が下がった時に日本銀行の債務が悪化する。
日経平均1万9000円くらいが損益分岐点で、それから3割くらい下がると多分(日銀は)債務超過』
『日本銀行としてはETFを外に出したいが、売ると株価が下がってしまう。
株価に影響を与えないで売れるギリギリのペースが年間3000億円と日銀は言ったことがある。
いま37兆円あるということは、このペースで売ると、120年位かかってしまって、
それでは問題が解決しないので、別のことを考えなくてはならない』
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