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2023年6月24日 (土)

人口の減少

6/13「こども未来戦略方針」が閣議決定されました(『こちら』)。

一部を引用してみます。

『2022 年に生まれたこどもの数は 77 万 747 人となり、統計を開始した 1899 年以来、最低の数字となった。

1949 年に生まれたこどもの数は約 270 万人だったことを考えると、こどもの数はピークの3分の1以下にまで減少した。

また、2022 年の合計特殊出生率は、1.26 と過去最低となっている。

しかも、最近、少子化のスピードが加速している。出生数が初めて 100 万人を割り込んだのは 2016 年だったが、2019 年に 90 万人、2022 年に 80 万人を割り込んだ。

このトレンドが続けば、2060 年近くには 50 万人を割り込んでしまうことが予想されている』

* * *

ところで、以下の文章は、6/4付の日経新聞の春秋欄から。

1974年にはむしろ『子どもを産まないように』と、今とは逆の訴えがなされていたことが分かります。

『「子どもは2人まで」。

1974年7月4日、東京で開かれていた日本人口会議は中国の産児制限を思わせるような大会宣言を採択した。

増え続ける人口を支えるための住宅や工場、公共施設、農地などを

「この狭い国土のどこにどう割り込ませたらよいのか」ー。

民間の主催だったが、当時の厚生省がバックアップし、会議には著名人が顔をそろえた。

ところが、この時期に第2次ベビーブームは天井を打った。

75年の合計特殊出生率は2.0を下回り、出生数も減りはじめる』

* * *

日本人口会議のことはこの新聞記事で知りましたが、

人口会議大会宣言採択後の状況をグラフにしてみました。

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これからどうなるのでしょうか。

下図は、国連の予測です。

Un

この図は、2000年を100とした場合の、2100年までの人口推移予測図で、 

日本も韓国も、そして中国も、人口は半分から65%程度に減ってしまう(一方、米国は伸び続ける)との予測になっています。 

冒頭の閣議決定にもありましたが、去年1年間で生まれた赤ちゃんの数は77万747人。

ということは、20年後の2043年。

この年の年齢20歳の人は(移民を前提としない限り)、78万人を超えることはありません。

このように、未来の人口推移は比較的正確に予測できるものと考えられています。

* * *

先ほどの閣議決定を読み込むと政府の危機感が伝わってきます。

もう10年くらい前になるのでしょうか。

少子化対策というと、必ずと言っていいほど、国や自治体が予算をつけて行う『出会いのための合コンやお見合いパーティー』のことが報道されてきました。

今回の閣議決定はこういった以前の対策とは違って、問題の本質にグッと迫る、より踏み込んだものになっているように思います。 

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2023年6月20日 (火)

234ドル

本日の日経平均は33,388円で取引を終えました。

為替は142.23円(TTM)ですから、234.75ドル。

 

日経平均が最高値だったバブル時の1989年末は、38,915円。

このときの為替は143.45円。

ドル建てで271.28ドル。

 

ドル建てでも現在の水準はバブル時の水準の86%のところまで来ました。

 

しかし、2年前。

2021年2月16日の日経平均は30,467円、

為替レート105.49円

ドル建て日経平均288.81ドル。

 

ドルベースで見ると、現在の日経平均は2年前よりも▲19%ほど低い水準にあります。

 

別の見方をすると、2年前のドルベース日経平均はすでにバブル時の最高値を優に上回っています。

 

それにしても現在の為替レート、名目値で見る限り、日本がバブルの頂点だった1989年末とほとんど同じ142~143円です。

偶然の一致で、それ以上の意味はないのでしょうが・・。

 

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2023年6月18日 (日)

半導体を制するものは世界を制する? (その2)

今から7時間ほど前ですが、ブリンケン米国務長官が中国の首都、北京に到着。

降機した際に、レッドカーペットはなく、中国政府の正式な出迎えもありませんでした(No red carpet, no greeting party)。

Blinken

米国務長官の訪中は5年ぶりとのことです。

* * *

「台湾有事」が懸念されています。

中国は軍事衝突まで起こして、台湾を完全支配しようとするのでしょうか。

中国は、香港では影響力を駆使して政権トップに中国の中央(北京)政府寄りの人がつくようにしました。

そして少しずつ香港を内側から中国中央政府寄りに変えて、具体的には、独立派と称する人たちを逮捕するなどして、

中国共産党の支配を確立していきました。

私は、中国は台湾に関しても、この香港方式を取るのではないかと思っていましたが、

それが(もしかすると)そうでもないらしい?

理由は半導体です。

2022年10月7日。

米国政府は中国に対して異次元の厳しい輸出規制を課すことを発表しました。

前回のブログで紹介した湯之上隆氏によれば、この「10.7」規制は、

『米国が中国に放った“目に見えない弾道ミサイル”』

とのことです。

なぜこれは“目に見えない弾道ミサイル”なのか。

湯之上さんの著述に書かれています。

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湯之上隆著『半導体有事』(『こちら』)。

今年読んだ本の中でいちばん勉強になった本でした。

お気づきになれた方も多いと思いますが、前回のブログでご紹介した湯之上さんの国会での参考人発言、YouTube動画もこの本で知ったものです。

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2023年6月13日 (火)

半導体を制するものは世界を制する?

第204回国会 衆議院『科学技術・イノベーション推進特別委員会』( 2021年06月01日)議事録

(少々長いですが、議事録をそのまま掲載します)

* * * * *

(以下、湯之上隆参考人の発言)

ここにパソコンがあります。皆さん日々パソコンを使われると思うんですが、ここに様々な半導体が搭載されています。

まず、プロセッサー。

これは、シェア1位はインテルなんですが、半導体の微細化、10ナノあたりで失敗してしまって、TSMCに生産委託しようとしています。

2位はAMDなんですが、これは完全にTSMCに生産委託して、インテルのシェアを脅かしています。

それから、パソコン通信ができるということは、通信半導体が入っています。

これは、主にアメリカのファブレスのクアルコムが設計して、台湾のTSMCが製造しています。

これらをまとめてロジック半導体と呼びますが、ここがTSMCが非常に強いところです。

それから、パソコン通信をするとき、自分の画像が向こうに見えるわけです。

ここに、画像センサー、CMOCセンサーというもの、これも半導体が入っています。

これはソニーが出荷額では世界シェア1位なんですけれども、

そのロジック部分は、自分で作らなくてTSMCに生産委託しています。

だから、ソニーもTSMCなしにはあり得ない事態になっています。

それから、NANDフラッシュメモリー。

これは、データをたくさん蓄えておくメモリーです。

電源を切ってもデータがなくなりません。

1位はサムスンで、2位はキオクシア、元東芝メモリですね。

さらに、電源アダプター。

ACアダプターだけではないんですけれども、いろいろなところにパワー半導体というのが搭載されています。

ここにはですね、このパワー半導体は、全部じゃないですけれども、一部TSMCが製造しています。

さらに、もう一つメモリーがありまして、DRAMというもの。

これは、プロセッサーと一緒になってワークを行う、ワーキングメモリーともいいます。

1位はサムスン、2位はハイニックス、3位はアメリカのマイクロン。

かつてここは非常に日本が強くて、過去、1980年代の中旬には80%を独占していた時代がありました。

ここに行ってみたいと思います。

これが、DRAMの地域別シェアを示しています。

80年代中旬、本当に80%を占めていたんです。

非常に強かった。

産業の米という言葉はここで生まれました。

このピークだった頃に、ちょうど僕は、日立製作所に1987年に入社して、半導体技術者になりました。

最初は、中央研究所。

ここでは、微細加工装置の研究開発を8年ほどやりました。

次は、半導体事業部。

ここは、DRAM工場、DRAMの生産技術に5年ほど携わりました。

さらには、デバイス開発センタ。

次世代のDRAMの開発をせよということで、次世代開発をやった。

この頃になりますと、2000年近くになりますと、日本のシェアはこんなに下がってしまって、

韓国に抜かれて、日本は次々と撤退していきます。

日立は、NECとの合弁会社、エルピーダというのを設立しました。

2000年の頃です。

NECから400人、日立から400人、出向社員800人で形成された合弁会社です。

僕は、ここに手を挙げて出向を志願しました。

微細加工グループの課長として赴任しました。

日本のDRAMを何とかしようと思ったわけです。

ところが、ここで行われたのは、NECと日立の壮絶なバトルです。

技術覇権争いです。

僕は、そのバトルに敗れて半年で課長を降格となり、部下も仕事も取り上げられて、いられなくなっちゃった。

次に行った行き先は、セリート。セリートというのは、つくばにできた半導体メーカー13社が集ったコンソーシアムです。

今もスーパークリーンルームというのが残っているんですけれども、ここで1年半、国家プロジェクトあすかに従って微細加工をやることになった。

合計すると16年ぐらい、半導体の微細加工、半導体の最も重要な技術に関わってきたわけです。

ところが、2000年にITバブルがあって、2001年に崩壊した。

日立は、10万人の社員のうち2万人の首を切りました。

そのとき、40歳課長職以上は全員辞めてくれ、こういう退職勧告がなされました。

課長職以上になると組合から脱退するので、切りやすいんですよ。

僕は、たまたま40歳課長で、エルピーダとかセリートの出向中の身なんですね。

本社から見ると、顔が見えない切りやすい社員。

何回も退職勧告を受けて、もう辞めざるを得ない状態になって辞めました。

といっても、早期退職制度は使えなかったんです。

次の行き先を探していたら早期退職制度を一週間過ぎちゃって、

辞表を出しに行ったら、撤回はなしだよと、もぎ取られてしまって、

自己都合退職になっちゃって、本当は3000万円ぐらいもらえるはずの退職金が、たった100万円になっちゃいまして、

ちょっと今でも女房に怒られておるんですけれども、そういうのがあってですね。

このように僕はDRAMの凋落とともに技術者人生を歩んじゃったんですよ、意図せずして。

次に行った行き先は、同志社大学の経営学の研究センター。

同志社大学に経営学の研究センターが新設されて、

何で半導体がこんなになっちゃったの、かつて最強だったんじゃないの、

これを研究してほしいというポストができて、

推薦してくれる人がいたのでここに行きました。

5年の任期付特任教授だったので、5年間研究をして、

2008年、また舞い戻ってきて、

現在、2008年以降はコンサルタントとかジャーナリストとして今に至っています。

問題はここですね。

何でこうなっちゃったの、過去、最強だったじゃない、

それが何でこんなになっちゃうのと。

結論を簡単に言うと、次のようになります。

これがDRAMのシェアです。

この辺り(岩崎注:1986年前後)が非常に強かった。

もう一つグラフを出します。

これは何かといいますと、日本のコンピューターの出荷額です。

パソコンとメインフレーム、大型コンピューターですね、こういうもの。

日本のDRAMというのは何用に使われていたのかというと、強かった頃はこのメインフレーム用だったんです。

パソコンはまだそんなに世間に普及していなかった。

このメインフレームメーカーはDRAMメーカーに何を要求したかというと、

一切壊れないものを持ってこい、25年の長期保証だと。

よく、DRAMというのはアメリカのインテルが発明したメモリーで、

日本がそれを追い越したのはコストなんだ、安価だからだ

ということが言われますけれども、違います。

超高品質DRAMを日本は作っちゃったんですよ、

本当に作っちゃったんです。

だから、これは技術の勝利なんです。

それは何でできちゃったのというと、

例えば、トヨタ流の言葉で言えばカイゼンの積み重ね、

経営学用語で言えば持続的イノベーションの積み重ね、

こういうもので本当に作っちゃったんですよ。

それで、世界を制覇したんです。

この時代が長く続けば、僕は日立を辞めることはなかったと思います。

ところが、時代は変わるんですよ。

コンピューター業界にパラダイムシフトが起きた。

メインフレームの時代は終わりを告げて、パソコンの時代がやってくるんですよ。

パラダイムシフトが起きたわけですね。

パソコンの伸びとともに急成長してきたのが、韓国です、サムスン電子です。

サムスンはどういうふうにDRAMを作ったかというと、

少なくとも25年保証なんて要らないよね、

パソコンはよく使って10年、まあ5年だよね、3年もてばいいんじゃないの、

ほどほどの品質保証でいいと。それよりも、パソコンは大量に要るんだと。

大量に要る。しかも、メインフレームのように何千万円で売るわけにいかないんだ、せいぜい何10万円なんだと。

このとき、メインフレーム用のDRAMというのは一個10万円とか20万円したんですよ。

でも、パソコン用だったら何100円じゃないといけないよね、

だから安価に大量生産することが必要なんだと、

サムスンはそのようにしたわけです。

一方、このとき、本当に僕はDRAM工場にいたわけですよ。

パソコンが出てきたことを知らなかったわけじゃないです。

サムスンがシェアを上げてきたのも知っていました。

僕も日本中のDRAMメーカーの技術者も知っていたんですよ。

知っていて、なおかつ、相変わらず25年保証のこてこての超高品質DRAMを作り続けちゃったんです。

それで、サムスンに敗れたわけです。

これは、経営学用語で言うと、サムスンの破壊的技術に敗北したんです。

技術の敗北なんです。

ちょっとこれはなかなか説明するのは難しいんですけれども、

DRAMというのはこんなような構造をしています。

ウェハー上に、トランジスタがあって、キャパシターがあって、配線がある、

こういうものを作るんですけれども、

縦軸は何かというと、マスク枚数と書いてありますが、

これは微細加工の回数だと思ってください。

何回、微細加工をやってこういう構造を作るんですか。

当然、少なければ少ないほどコストはかからないんですよ。

多ければ多いほど高価な微細加工装置を大量に必要とするんです。

日立は29枚。東芝は28枚。NECは26枚。

ところが、韓国勢は軒並み20枚。

アメリカのマイクロンに至っては15枚、半分。

これは明らかに技術の敗北なんですよ。

こんなふうにして作っていたから、利益が出なくて、

大赤字になって撤退せざるを得なくなったんです。

技術の敗北なんです。

これをまとめると、次のようになります。

80年代中旬は、メインフレーム用のDRAMを超高品質で作ることによって、

日本は世界一になった。

これは正しかった。

でも、このときに、日本の開発センターや工場に、

極限技術を追求する、超高品質を追求するという技術文化が定着していきます。

でも、これは正義だったんです、

これで世界一位になったわけだから。

でも、定着しちゃうんです。

90年代になって、パソコンの時代にパラダイムシフトが起きた。

このとき必要だったDRAMの競争力は低コストなんです。

このとき日本は作り方が全く変わらなかったんです。

結果的に、そうすると、過剰技術で過剰品質を続けることになっちゃったんです。

大赤字になって撤退するわけです。

一方、サムスンは、適正品質のDRAMを低価格で大量生産して、

トップになっていきました。

安く大量生産する破壊的技術、これで日本を駆逐した。

ここにはマーケティングなんというのもあったんですけれども。

(それで)このエルピーダができたんですが、

エルピーダは、超高品質の、こういう病気がもっとひどくなって重篤化して、

倒産しちゃいました。

日本は、軒並みSOC、ロジック半導体にかじを切ったわけです。

製品変われど、病気も一切変わらなかった、治らなかった。

半導体全体を見ても、こんな感じです。

これは半導体全体のシェアを示しています。

やはり1980年代に50%のピークがあります。

これが、どんどんどんどんシェアが下がっていくわけです。

いろいろ、これを対策しようと、あれこれやったんですよ。

ちょっとこれはおいておいて、ここの辺りからですね。

何かもう一つ一つ読むのも嫌なんですけれども、山のように対策したんですよ。

国プロ(岩崎注:国家プロジェクト)、コンソーシアム、合弁会社、経産省が主導して、

何かもう数え切れないほどやったんです。

実際、僕が所属したのは、このエルピーダとか、セリートとか、

セリートを核としたあすかプロジェクトとか。

これは実際、僕が自分でそこに在籍して経験したわけですけれども、

何一つ成功しなかった。

何一つシェアの浮上にはつながらなかったんです。

大失敗。

何でこうなっちゃうのと。

全部失敗したんですけれども。

最後のまとめに入りますが、日本半導体産業は病気です。

もはや重病で、死者も出たくらいです(岩崎注:倒産したエルピーダ)。

これまで、各社のトップ、産業界、経産省、政府などが病気の診断を行って、

まあ人間は、何か熱があるな、せきがあるなといったら病院に行くわけですよ。

コロナですか、インフルエンザですか、風邪ですかという診断を受けて、

それに伴った処方箋を出してもらうわけですよ。

実際、処方したわけですけれども、

その処方箋、国プロ、コンソーシアム、合弁は全部失敗です。

一つも成功していない。

つまり、これは何でこうなるかというと、診断が間違っていたんですよ。

病気の診断が間違っていたんです。

だから、診断が間違っていたから、その処方箋も的を射ていなかったんです。

これが歴史的な結果です。

病気は治らず、より悪化して、エルピーダのような死者も出た。

じゃ、日本の半導体に何か望みはないのか、将来に光はないのかというと、

日本半導体、デバイスについては挽回不能です。

無理。

だけれども、希望の光もあるんです。

今から述べます。

まず、半導体を作るには様々な製造装置が必要です。

10数種類あります。

この中で、全部とは言いません、

5種類から7種類ぐらいは市場を独占している装置があります。

ここは非常に強力です。

それから、日本の装置でなくても、

アメリカ製であってもヨーロッパ製であっても、

それぞれの装置が3000点から5000点の部品で構成されています、

その部品の6割から8割が日本製なんです。

知られていない中小零細企業がここに何千社といるんです。

これがひょっとしたら日本の競争力かもしれない。

さらには、もう一つある。

ウェハーとかレジストとかスラリーとか薬液とか、

半導体材料というもの、これはもっと強力なんです。

これを具体的に示したいと思います。

これを作るのに一週間以上かかってしまった。

これは一つ一つ説明できないんですけれども、いろいろな材料が必要なんですよ。

実はこの3倍ぐらい半導体材料はあるんです。

1週間では3分の1しか調べられなかった。

しかも、各社のシェアというのは、

ちょっと、ねえねえ、教えてよと電話をかけまくって、

悪用しないからさ、国会で報告するから

ちょっと教えてよというのを一週間やって、

この図を作ったんです。

Photo_20230613142101

そうすると、見てください、

右側に、日本のシェアと書いたんですけれども、

90%とか70%とか、

過半を超えるものが多数あるわけですよ。

これが一つ欠けても半導体は作れないんですよ。

一つ欠けても駄目なんですよ。

ここにまず、日本の第一の競争力があります。

それから、製造装置に行きます。

製造装置も、これは前工程だけなので、

後工程というのはちょっとまとめる時間がなかったんですけれども、

前工程だけで10種類ぐらいあります。

それで、例えばこの東京エレクトロンというのは、

コーター・デベロッパー、詳しく説明しませんよ、

でも、9割ぐらいのシェアを持っているわけですよ。

熱処理装置も、東京エレクトロンと国際電気を合わせて

9割ぐらいのシェアを持っているんですよ。

このように、ここにまた数字、日本のシェアを書きましたけれども、

5種類から7種類ぐらいにかけては、

日本が独占している装置があるんです。

これは日本の競争力なんです。

更に言うと、例えばヨーロッパ、ASML、オランダの装置メーカーで、

露光装置をほぼ独占しているんですけれども、

この部品の6割は日本製なんです。

緑色がアメリカ製の製造装置なんですけれども、

この6割から8割が日本製の部品なんです。

ここに日本の競争力があります。

アジアを俯瞰すると、こういうふうになっています。

まず、韓国は、サムスンとかSKハイニックスを擁して、

半導体メモリー大国となりました。

今、ファウンドリーも強化しようとしています。

なかなかうまくいっていませんが。

台湾。TSMCがファウンドリーでチャンピオンです。

どこも追いつくことができません。

これはもう世界の半導体のインフラと言ってもいいでしょう。

もうここを使わないとできないんですよ。

日本に来るかという話がありますが、

必要ならば質疑のところで説明しますが、

少なくとも工場は一切来ません。断言しましょう。

来ない(岩崎注:この部分の予測は外れた)。

中国。

これは世界の半導体の35%以上を吸収して、

鴻海、鴻海というもの自体は国籍は台湾なんですけれども、

中国に大工場群を持っていて、

世界の電子機器の9割とか8割を組み立てているわけですね。

世界の工場なんですよ。

それが、アメリカからの制裁を受けて、自国でも半導体を作ろうと強化に動いてはいますが。

それで、日本なんですよ。

日本は、装置と材料を世界へ供給している。

台湾、韓国、まあ中国は、ちょっと、いろいろな問題があってちゅうちょしています。

何か、ここ、いろいろ、アメリカのエンティティーリストに載っちゃったような会社がありますので、

ここに出してもいいのかというのはちゅうちょしているところがありますが。

欧米にも出している。

こういう役割分担がアジアで完全に確立されています。

問題はいろいろあります。

ここですね。

装置と材料は強いんです。

でも、材料の競争力を維持するには問題があるんです。

例えば東京エレクトロンのような大企業だったら、大規模なR&D費も充てることはできるんですけれども、

その部品メーカー、3000社とか1万社ある部品メーカーには中小零細企業があって、

そういうところは最先端の開発というのはなかなか大変なんです。

こういう中小零細の部品メーカーが

本当の競争力、世界の製造装置のデファクトを持っていたりするんですよ。

こういうところの強化が必要なのかなと思っています。

TSMCが注目されます。

TSMCには1000社以上のファブレスが殺到している。

最先端プロセスだけで500社ぐらいが来ている。

もうキャパはぱんぱんだと。

そこに、最先端の製造装置とか最先端の材料が使われているわけですよ。

製造装置のうちの半分近くは日本製です。

部品まで入れると6割から8割までが日本です。

製造材料でいうと、ざっくり言って7割から8割が日本なんです。

ここが強いところなんです。

まとめます。

1980年代中旬に、日本はメインフレーム用に超高品質DRAMを製造して、

世界シェア80%を独占しました。

一方、1990年代にパソコンの時代が訪れても、

相変わらず超高品質DRAMを作り続けて、

韓国の安く大量生産する破壊的技術に敗北しました。

日本半導体全体も、1980年代中旬でピークアウトしました。

シェアの低下を止めようとして、国プロ、コンソーシアム、合弁をやり続けました。

しかし、病気の診断と処方が間違っていた。

したがって、全部失敗した。

日本半導体は挽回不能です、

残念ながら。もう無理。

ここに税金をつぎ込むのは無駄だと思っています。

歴史的に、歴史的にですよ、経産省、革新機構、政策銀が出てきた時点でアウトなんです。

これは歴史的な事実です。

じゃ、希望の光はないのか。

あります。

今でも競争力が高い5種類から7種類の製造装置、あるいは、

日本製でなくても、欧米製であっても、その部品の多数が日本製です。

さらに、製造材料については日本が圧倒的な競争力を持っています。

したがいまして、強いものをより強くする、

これを政策の第一に掲げるべきだと私は思います。

以上で発表を終わります。(拍手)

*  *  *

議事録の原文は衆議院のサイト『こちら』でご覧いただけます。

なお国会での湯之上隆参考人による上記発言の模様はユーチューブでもご覧いただけます。

23分間。『こちら』です。

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2023年6月10日 (土)

ダグ

もう40年以上も前のことだが、1980年にスタンフォードのビジネススクールを卒業した。

当時のクラスメート(同年度の卒業生、Class of 1980)は今よりも少なくて一学年370人くらい。

日本人が10人いた。

クラスメートのうち名前と顔が一致したのは精々50人くらいだったろうか。

会って話をしたことのある米国人はもっと少なく20人くらいだったかもしれない。

とくに大学院1年生の時は、私は授業についていくのに必死だった。

米国人クラスメートたちは週末にパーティなどを開いていたが参加する余裕がなかなかなかった。

キャンパスで会って談笑したりする米国人はあまり多くなかったが、先方から話しかけてきてくれる人が4~5人いた。

ダグはそのうちの1人だった。

18年前の卒業25周年記念の同窓会(Reunion)の時も、ダグは私を見つけて話しかけてきてくれた。

5年前。

ナデラさん(マイクロソフトのCEO)が書いた『本』を読んでいると、ダグのことが出てきた。

『私(岩崎注:ナデラさんのこと)はその頃 Microsoft Dynamics(マイクロソフト・ダイナミクス)の新規事業を運営していた。

その仕事は、(中略)ダグ・バーガムから引き継いだ。

ダグは部下を激励するのがうまく、私がより優れたリーダーになれるよう指導してくれた。

また、ビジネスや仕事を社会や生活と切り離して考えるのではなく、より幅広い社会機構の一部、人生の中核として考えるべきだと教えてくれた。

ダグから学んだ教訓の一部は今でも自分がどんなリーダーであるべきかを判断する重要な要素となっている』(上記書72頁)。

スタンフォードの場合、同窓生の動向は年に数回自宅に送られてくる雑誌で知ることが出来る。

2016年、ダグがノースダコダ州知事になったのを知ったのは、この雑誌でだった。

      Governor_doug_burgum

       (州知事の公式ポートレート)

そして今回、彼は米大統領選への出馬を表明した。

州知事として歳出削減や減税の実績を強調。

『米国でも同じことが出来る』と訴えた(朝日新聞6/8)という。

共和党指名候補者はこれまでのところ、トランプ前大統領、ペンス前副大統領、デサンティスフロリダ州知事、ニッキー・ヘイリー元米国国際連合大使などたくさんいる。つまり競争相手が多い。

でも頑張って欲しい。

ダグの立候補演説は『こちら』から。

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2023年6月 4日 (日)

「モリス会長に手紙を書いたんだ」

モリス・チャンがTSMCを創ったのは1987年。

半導体受託製造(ファウンドリ)のビジネスモデルはなかなか理解されず、大手企業の下請けに甘んじていました。

一方、ジェンスン・フアンは1993年に回路設計のエヌビディアを設立。

自分たちで製造工場を持つほど余裕がある訳でもなく、製造はSGS Thomson Microelectronics(現在の STMicroelectronics)に委託(1994年にSGS Thomsonと戦略的業務提携)したものの、その関係はしっくりと行くものではありませんでした。

やがてジェンスン・フアンはTSMCのことを知ります。

「これこそ自分たちが求めていたパートナーではないか」

こう考えたジェンスン・フアンは米国のTSMCのオフィスに電話を入れます。

しかし当時のエヌビディアは設立されて間もない企業。

折り返しの電話もありません。

そこでジェンスン・フアンは台湾にいるモリス・チャン会長に手紙を書きます。

これを受け取ったモリス会長。

彼は米国出張時にジェンスン・フアンに電話をかけることにします。

こうして2人の創業者が繋がりました!

1998年、エヌビディアはTSMCと業務提携に署名します。

* * *

現在:

エヌビディアの時価総額:136兆円(1ドル=139.90円)世界6位

TSMCの時価総額:72兆円(世界10位)

* * *

参考文献および動画は下記

https://spectrum.ieee.org/morris-chang-foundry-father

https://www.youtube.com/watch?v=u-x7PdnvCyI 

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2023年6月 2日 (金)

92歳と99歳の株主総会

Warren Buffett Archive というサイトがあります(『こちら』)。

このサイトでは、これまでのバッフェトのインタビュー、株主総会の動画など、主なものを全て見ることが出来ます。

総会は1994年以降、毎年のものが見れます。

もちろん今年の総会も、5時間以上にわたる質疑応答の模様をフルに見ることが出来ます。

英語がある程度分かる人はこの総会の模様を見てみることをお勧めします。

大学やビジネススクール(大学院)で学ぶファイナンスの授業以上のものを、もしかするとこの動画で学べるかもしれません。

とくに94年など昔の総会では株主からファイナンスに関連する難しい質問も結構出てきて、これに淀みなく答えるバフェットは、見事!

92歳の今でこそゆっくりと話しますが、若い頃のバフェットは machine gun delivery(日本語で立て板に水?)で有名でした。

さて今年の総会の模様を記事にしてみました。

『こちら』です。

100

4日発売の日経ヴェリタス紙にも掲載されます。

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