道をひらく言葉
編集者の方に送って頂いた『道をひらく言葉』という本。
まだ出版される前の本なのですが、面白い !
たった20頁ちょっとの瀬戸内寂聴さんのインタビューだけでも1冊の本の価値があると思いました。
まさに一生かけて辿りついた境地かもしれません。
99歳で亡くなられた寂聴さん。
『やっぱり生きてるってことは情熱を燃え立たせてなければつまらないですね。生ぬるい生き方をしたくない』
編集者の方に送って頂いた『道をひらく言葉』という本。
まだ出版される前の本なのですが、面白い !
たった20頁ちょっとの瀬戸内寂聴さんのインタビューだけでも1冊の本の価値があると思いました。
まさに一生かけて辿りついた境地かもしれません。
99歳で亡くなられた寂聴さん。
『やっぱり生きてるってことは情熱を燃え立たせてなければつまらないですね。生ぬるい生き方をしたくない』
2021年5月に書かれたアトキンソンさんの『新・日本構造改革論 デービッド・アトキンソン自伝』。
内容は95%までがアトキンソンさんの自伝です。
しかしその行間には、日本への愛情と、どうして30数年の間にこうまで日本の国際的地位が衰退してしまったのかについての考察と言うか、著者なりの問題意識がにじみ出ています。
つまり95%の部分は、表立っては日本の構造改革論は述べられてはいません。
しかし私にはこの部分こそが(間接的にであれ)本質的な病巣に迫っているような気がしました。
本質的な病巣。
それは教育の問題と、その結果生まれた、日本社会のみで通用する、エリートと目される一部日本人のアロガンス(arrogance;傲慢さ)にあるのではないか、と私は読み取りました。
アロガント(arrogant)な人は学ぼうという意識に欠けます。
さて・・。
本書の最初の5分の1はオックスフォード大学での経験の話です。
Times Higher Educationによるランキング(World University Rankings 2023)では:
1位:オックスフォード
2位:ハーバード
3位:スタンフォードとケンブリッジ(同順位)
39位:東大
と、オックスフォードは大学として世界第1位に評価されています。
オックスフォード1校だけでこれまで56名のノーベル賞受賞者を輩出。
そんなオックスフォードの凄さが本書を読むと伝わってきます。
1987年に大学を出たアトキンソンさんはアンダーセンに就職。
その後、投資銀行に転じ、90年~92年にソロモン、92年~2007年にゴールドマンで株式アナリストを務め、この間にトップアナリストとしての評価を確立しました。
本書の半分以上を占めるのがこのアナリスト時代の経験の話。
アトキンソンさんがアナリストとして分析し信じるところを書いたところ、それが評価される側の銀行経営者の逆鱗に触れます。
その結果、社内的にも難しい立場に追い詰められてしまいます。
同じ投資銀行でもアトキンソンさんと私とでは、勤務した会社や担当した職務も異なります。
それでも、実は私もアトキンソンさんと似たような経験をしました。
外資に移ってまもなく。
元勤務していた日本のA銀行のB常務から『来て欲しい』と連絡を受けました。
それまでB常務と私は、接点はなく、お互い顔を知っている程度。
A銀行の場合、頭取や常務への来客は役員来客用応接室へ通されます。
一方、行内の部長や課長が常務に呼ばれる時は、常務の部屋に行って、そこで打ち合わせをします。
さて私がA銀行を訪れると、秘書に案内されたのは、来客用応接室ではなく常務の部屋。
『会社を去った後でも(来客ではなく)仲間として認めてくれるのか』
そんな印象を持ったのを覚えています。
ところがそれから後が大変。
会って、開口一番、
『君のところのアナリストは何なんだ。
銀行に関するこんなレポートを書きやがって。
デリバティブだろうと何だろうと、君のところとはこれから一切取引をしないからな。
出入り禁止だ。
帰ったらそう伝えておけ』
と凄い剣幕。
当時、私はManaging Director でしたが、投資銀行部の所属で、しかも担当はTMT(Telecom, Media & Technology)。
A銀行をはじめ金融機関はFIG(Financial Group)の担当であり、そもそも銀行アナリストは投資銀行部とは全く別の独立した部署(株式調査部)が所管。
レポートの内容が気に入らないなら、書いたアナリストを呼んで、「この分析や数字は違う」と議論すれば良いのだろうに、と不思議に思ったのを覚えています。
本書を読むとアトキンソンさんはもっと大変な経験をしたことが分かります。
1985年、まだ学生だったアトキンソンさんが初めて日本を訪れた時、まだ日本人はそれほどアロガント(arrogant)ではなかったと思います。
しかし一部のエリートと称される日本人はいつの間にかアロガント(arrogant)になってしまった。
バブルによって経済が世界2位になってしまったことが影響したのでしょうか。
なお以上はすべて私の個人的な感想に過ぎず、本書にはそもそもアロガント(arrogant)といった単語さえ全く出てきません。
ただ日本のことを長く知る私の周りの米国人は『かつて日本人はpolite だったが、いつの間にか arrogant な人が増えてきた』とよく口にします。
私は、日本の衰退はこの辺に原因があるような気がしています。
なお本書は次のような人にお勧め。
1)教育に興味ある人、とくに
2)オックスフォード流の教育に興味ある人
3)コンサルタントに興味ある人(アトキンソンさんはソロモンに移る前、アンダーセンに勤務)
4)投資銀行に興味ある人(パートナーになる過程など社内ポリティックスがかなり赤裸々に描かれています)
5)株式アナリストに興味ある人
6)日本の1人当たりの生産性が世界27位、先進国中最下位であることの意味に関心ある人
7)バブル期後の日本の銀行の不良債権問題に関心ある人
「ウサギは自分を過信しすぎて勝負を急ぐあまり途中で没落していく。一方、カメは遅いようでもちゃんとゴールに入っている」
こう説いたのは是川銀蔵(1897年~1992年)。
「最後の相場師」との異名を持ち、1982年の高額所得番付1位となった人です。
(是川銀蔵の銅像;公益財団法人是川奨学財団のホームページより)
是川は兵庫県赤穂の漁師の家に7人兄弟の末っ子として生まれます。
上の兄たちは全員尋常小学校までしか行かせてもらえませんでしたが、彼は高等小学校まで通わせてもらえました。
そして小学校を卒業した後、小さな貿易商、「好本商会」の丁稚となります。
好本商会はイギリスから毛織物を輸入し、日本の手芸品を輸出するという会社でしたが、1914年に倒産。
是川が16歳の時でした。
丁稚で稼いだ20円を旅費にして、16歳の是川は神戸から中国・大連に渡り、現地の洋服生地問屋の「井上商店」の世話になります。
しかし数ヶ月で大連を飛び出し、日本軍の後を追って山東半島へ。
17歳の時に青島で貿易商社「小山洋行」を設立。
しかし軍の高官に対して饗応を行った容疑で逮捕されてしまいます。
未成年の為、無罪釈放とはなりますが、店や預金、その他一切の財産を番頭に譲り、いったん帰国。
是川18歳の時でした。
半年後、再び中国に渡り、商売に励みましたが、非鉄金属相場の下落などに見舞われ、一文無しとなって19歳で帰国。
このように是川は10代のときから波乱万丈の人生を歩みます。
高等小学校しか出ていなかった是川が経済学を学ぼうと思い立ったのは、31歳の時。
妻と子ども4人を抱え、家賃や米代も払えない貧窮生活の中で、3年間、毎日のように京都・嵐山から大阪の図書館へ通い続けました。
新京阪鉄道の社長に頼み込んで雑役夫用の無料乗車券を入手。それでも往復5キロは毎日歩く羽目に。
図書館では、経済学のみならず政治の本も読み漁り、世界各国の数十年にわたる経済統計を調べ、物価、景気、株価の変動や消費動向を徹底的に分析しました。
そしてひと通り勉強した後で、株式投資の世界に身を投じようと決意したのです。是川が34歳の時です。
しかし41歳の時に株式投資の世界から身を引いてしまいます。
実は是川が投資の世界で有名になったのは80歳を過ぎてからなのです。
そんな是川が教える投資の心構えを日経新聞『投資力を磨こう』のコラムに書きました。
電子版は『こちら』です。
紙の方は、8日(日曜日)発売の日経ヴェリタス紙に掲載されます。
2017年1月にHBOから配信されたドキュメンタリー映画、『ウォーレン・バフェット氏になる』。
アマゾン・プライムの『こちら』でご覧になれます(1時間28分)。
映画を観たからと言って、バフェットになれる訳でもなく、観た人の投資にそれほど役に立つわけでもありません(もちろん役に立つ金言は出てきますが・・)。
映画が撮影されたのは2016年。
ウォーレン・バフェットが86歳の時です(彼は今月末で92歳になります)。
毎朝、ネブラスカ州オマハ市の自宅から自分でクルマを運転してオフィスに出勤するバフェット。
彼は54年間、毎日、これをやり続けていると言います(注:新型コロナが猛威をふるっていた時は自宅で仕事をしていたそうです)。
映画が撮影された86歳の時、バフェットが保有する個人資産は673億ドル(1ドル130円換算で8兆7000億円)。
にもかかわらず彼が住む家は特段の豪邸でもなく、普通の家で、オフィスも普通(オフィスは人と人がすれ違えないほど廊下が狭い)。
運転するクルマもベンツやレクサスではなく、普通のアメ車(GM車、まぁ一応キャデラックでしたが・・)。
もちろん運転手が別にいる訳でもなく自分で運転。
オフィスに着いて、誰かが出迎えてくれる訳でもありません。
日本では年収1億円以上の報酬を得ている上場企業役員が652人いると言いますが、
恐らくは、その多くは毎朝運転手が自宅に迎えにきてくれて、
会社まで送っていってもらうという生活をしているかと思います。
さて、バフェットですが、
毎朝、自宅から会社へ向かう途中、地元のマクドナルドに寄ります。
そしてマックのドライブスルーで朝食を注文。
日によって選ぶメニューが違い、2ドル61セントだったり、2ドル95セントだったり、3ドル17セントだったりするのだとか。
これを袋に入れてもらって、オフィスに持ち込み、自分の席でマックの朝食を食べます。
現在、時価総額6,700億ドル(87兆円)、世界第7位のバークシャー・ハサウェイ社には、昔も今も25人のスタッフしかいない(オフィスで働いている人数)と言います。
広報部や人事部などなく、コミティ―(委員会)という名の組織も一切ない。
「形式的なものは肌に合わないんだ」とバッフェト。
映画は、地元の高校生のクラスに招かれ、そこでのバフェットによるスピーチを軸に進められていきますが、バフェットが住む家、働くオフィス、そして家族や会社の仲間を見ることが出来て、興味深いものでした。
13歳の時にすでに所得税の確定申告をしていたというウォーレン・バフェット。
やはり常人ではありません。
映画を観終わっての感想ですが、バフェットにとっては、投資こそが、もっともフェア(公平)な戦いの場であったのだと思います。
そして彼はその戦いを見事に勝ち抜いてきたのでした。
金額の多寡、プロアマを問わず、少しでも株式投資の世界に触れている人には一見に値する映画だと思いました。
日経の金融部長、河浪さんが書いた『みずほ、迷走の20年』を読みました。
私自身、興銀を離れてから24年が経っており、みずほの設立(02年4月)も、3行経営統合合意の発表(99年8月)も知りません。(退職したのは、それより前の98年11月)。
そういった意味で、完全な部外者である私が、一読者として、本書を読んだだけなのですが、印象に残った箇所を一つ、二つ。
著者による80年代の記述で、
『日本経済に必要だったのは、世界をリードする次世代産業を自らつくっていく「先端国家型の経済システム」だった。それには新ビジネスの成功と失敗を効率よく切り分ける市場機能が必要になる。銀行の判断に頼る間接金融ではなく、よりビジネスの自然淘汰を可能にする直接金融が適切だ』(本書212-13頁)。
これは賛否両論ある記述だとは思いますが、たしかに市場機能をもう少し上手く利用できていれば、失われた20年とか30年は防ぎ得たような気もします。
バブル期、日本企業は大量にワラント債やCBを発行。
ほとんどゼロ金利で調達した資金を財テクでの運用に回しました。
しかし、そこには「資本コスト」や「希薄化」の視点が欠落していました。
本来、銀行はそうした企業行動に対して助言できる立場にあった訳ですが、
企業価値を極大化するための助言がきちんと出来ていたのかどうか。
そもそも銀行自らが、「銀行自身にとっての企業価値極大化とは何か」を把握しきれていなかったのではないか。
以下、再び本書からの引用。
『85年のプラザ合意以降、・・銀行は間接金融のシステムを温存したまま、これまでの産業金融から不動産金融へと突き進む』(213頁)。
* * * *
ところで書棚を整理していたら興銀を辞めた時の辞令が出てきました。
発令日が11月29日となっているのは、(はっきりとは覚えていませんが、たしか)
「健康保険か厚生年金か雇用保険か、何らかの理由で、月末日を異動先の企業の入社日とした方が良い」。
そんな説明を当時の興銀人事部から受けた気がします。
辞めていく人に対して、そんな気配りをしてくれる組織でした。
今から24年前。
当時、私は45歳でした。
ソニーの平井さん(前CEO)が書いた『ソニー再生』。
1年ほど前の本なのですが、些細なエピソードが面白く読めます。
彼が社長になった後で、海外に出張した時の話なのですが、以下、本書173~4頁より。
『ホテルの部屋に入るとソニーのテレビが置いてあった。
でも何かがおかしい。
テレビの裏側を見るとホコリがまったくない。
室内の他のものと比べて配線が明らかに新しいことも気になった。
「もしかして・・・」
ホテルを手配してくれた現地のスタッフに聞くと案の定だった。
東京から本社の役員が来るときは部屋のテレビをソニー製に取り換えているのだという。
「なんでそんなことをするかなぁ・・・」
とため息をつきながらテレビを眺めたのを覚えている。
これはなにも現地のスタッフが悪いわけではない。
今まではそれが当然だったのだろう。
だから、いちいちこちらの意図を説明して改善してもらった。』
ソニーの株価は2000年3月には16,950円をつけました(分割調整後)。
それが2012年11月には772円にまで下落。
▲95%もの下落です。
その後、右肩上がりになって、今年の1月には15,725円にまで回復。
約10年で20倍になりました。
現在11,425円ですが、この水準でも当時の15倍になります。
平井さんは如何にしてソニーを再生させたのか・・。
その秘密が本書に書かれています。
成功した経営者の本は往々にして日経新聞「私の履歴書」のように自画自賛ものが多いのですが、
不思議とそういったものを感じさせない本でした。
「なんだ、数学 I・A か。高校時代には数IIIまでやったし・・」と、なめてかかると痛い目に遭います。
本書は、公園のベンチで春の日差しを浴びながら楽しむたぐいの本ではありません。
もちろん個人差はあるのでしょうが、少なくとも私の場合はそうでした。
きちんと机に向かって、ボールペンと紙を横に置きながら、
一つひとつ数式や図形を書いて確認しながら読み進む・・。
そんな感じの本です。
たとえば、冒頭(に近い方で)いきなり出てくるのが、
これ自体は大したことのない数式なのですが、さて、この証明ってどうやるのだったでしょうか。
単純に式を解きほぐすと左側から右へと結果が得られます。
それだけでは、how to に基づいて右側を算出しているだけ・・。
図刑を使って証明してみると、ちょっと難しい・・(本書に説明が出てきます)。
続いて出てくるのが因数分解、三角比などなど・・・。
本書の最後の方では、正多面体がこの世には5種類しか存在しないことの証明や、オイラーの多面体定理の話も出てきます。
私は標準偏差や正規分布の本は別途読んでいるので、
このあたりの説明(第5章)はスーッと頭に入ってきました。
著者の説明の仕方が上手いこともあって、「公園のベンチの読書」でも平気でした。
しかし社会人として日ごろ慣れ親しんでいない分野(つまり私の場合、本書全体の80%くらい)になると、話が違ってきます。
定理や公式の導き方や証明をまさに食らいつくように、一つひとつ征服していき、1頁、1頁を進んでいく・・。
やや大袈裟ですが、私にとっては知的格闘技といった感じでした。
余談ですが、iPhone の電卓アプリを呼び出して、本体を横にすると、sin、cos、tan などの計算がすぐに出来ます。
10年以上 iPhone を使っていて(iPhone 4S から)このことに気づかず、本書で初めて知りました。
バークシャー・ハザウェイのアニュアルレポート(『こちら』)を見ると、彼らは下記3社などの日本の商社株を有していることが分かります(アニュアルレポート7頁)。
三菱商事 2,102百万ドル(簿価ベース)
伊藤忠商事 2,099 百万ドル(簿価ベース)
三井物産 1,621百万ドル(簿価ベース)
一方で、円建て債を発行して円ベースの負債(残高 6,797百万ドル)も抱えています(アニュアルレポートK-99頁)。
バークシャーは上記以外にも日本の商社株を保有していると考えられますが、保有株として個別開示されるのはバークシャー全体の保有株のうち上位15社のみ。ちなみに最も多く持っているのはアップルの株式で31,089百万ドル。日本の上記商社勢は15社の中で、保有残高ベースで7~9番目に位置します。
いずれにせよバークシャーとしては円建ての資産(上記3社などの日本株)に見合う円建ての負債を敢えて抱えて、円ドルの為替のポジションをスクウェア(為替変動に中立的)に近いものにしていると思われます。
このように海外の投資家は、日本株の株価変動リスクが円ドルの為替リスクと混同されてしまうのを嫌います。
実例で見てましょう。
昨年末に日経平均を買った場合、28,791.71円(昨年末)が27,821.43円(3月末)となりましたので、▲3.4%のマイナスのリターンとなりました。
しかし例えば米国の投資家にとってみれば、バークシャーのような円建て負債を敢えて作らない場合には、
為替が115.02円(昨年末)から122.39円(3月末)に円安に進んでいますので(注:為替はTTM公示レート)、
ドルベースのリターンは、250.32ドル(=28,791.71円÷115.02円)から227.32ドル(=27,821.43円÷122.39円)へと、▲9.2%も下落してしまったことを意味します。
ちなみにこの間、ダウ平均株価は、36,338.30(昨年末)から34,678.35ドル(3月末)へと、▲4.6%の下落で済んでいます。
日本政府は海外にまで出かけて行って「Buy my Abenomics!」と外国人投資家に日本株への投資を呼び掛けてきました(『こちら』)。
しかし外国人投資家の立場からすると、たとえ日本株が値を上げても為替でやられてしまっては元の木阿弥。
つまり世界の投資家を呼び込むためには円安にならないことが重要なのです。
このことに四半世紀以上前に気がついたのは、1995年に米国財務長官に就任したロバート・ルービンでした。
彼はクリントン大統領(当時)に対して、こう助言したと言われています。
「大統領としていろいろとやりたいことがあるのでしょうが、歴史に名を残したいのなら、ドル高政策を進めることです」。
それまで米国では、安いドルが輸出を促進し、企業の競争力を高めると考えられていました。
しかし財務長官に就任する前の四半世紀をウォール街のゴールドマン・サックスで過ごしたルービンは、ドル高にすることで世界の資金を米国に集めることができると考えたのです。
輸出入といった「もの」の動きよりも、「お金」の動きに着目し、世界中から集まる資金をテコとして、米国の企業が積極果敢に投資を行い、経済を成長させていく・・。
ルービンはこうしたダイナミックな資本主義のモデルが成功すると信じていたのです。
* * *
この続きは日経新聞電子版でご覧ください(『こちら』)。
日曜日(4月3日)発売の日経ヴェリタス紙にも掲載されます。
米国企業のCEOがウェブサイトなどで発表している『株主への手紙』。
読み応えがあるものが多く、中には毎年の株主への手紙を集め、本にして出版されるものもあるほど。
たとえば昨年末に出版された『Invent & Wander──ジェフ・ベゾス Collected Writings』。
この本の中心は、毎年発表されてきたジェフ・べゾスの株主への手紙を集めたもの。
『バフェットからの手紙』も基本はバフェットが毎年書いているバークシャーの株主への手紙。
また、本にはなっていませんが、グーグルのラリー・ペイジの文章を読むのも私は好きです。
たとえば:
We did a lot of things that seemed crazy at the time. Many of those crazy things now have over a billion users, like Google Maps, YouTube, Chrome, and Android.
(我々はクレイジーだと思われたことをたくさんしてきた。そうしたたくさんのクレイジーだと思われたことが、今や10億人を超えるユーザーを持つようになっている。グーグル・マップや、ユーチューブ、クローム、アンドロイドなどだ)。
We’ve long believed that over time companies tend to get comfortable doing the same thing, just making incremental changes.
(企業は長くやっていくうちに同じことをやったり、少しの改善・変化だけで満足してしまうようになる傾向にある)。
【注】以上の原文は『こちら』に掲載されているもの(後段の文章は、この後、「テクノロジーの業界にある会社は少しの改善・変化だけではジリ貧になる」といった内容に続いていきます)。
* * *
さて、ロシアによるウクライナへの侵略が続き、米国のインフレが7.9%となるなか、株式市場はいったいどうなるかと心配されている方も多いでしょう。
そういった方には、2012年にバフェットが綴った『株主への手紙』が参考になるかもしれません。
実はこの一部を私は過去の著作で抄訳したことがありますので、以下に掲載させて頂きます。
* * *
『危機に際して安全なのは現金か。だとすると円なのか、ドルか。あるいはゴールド(金)を考えるべきかー。
稀代の投資家、ウォーレン・バフェットは、2012年2月、バークシャー・ハサウェイ社の株主に宛てた年次レターの中で、この点について検討した。
バフェットによれば、いろいろな種類の資産価格は変動するが、その資産のリスクが高いかどうかは、資産が有している「購買する力」で判断されるべきだ。
たとえ価格があまり変動しなくても、資産のリスクが高いといったことがあり得るのだ。
こう述べた上で、バフェットは資産を3つのグループに分類した。
以下、バフェットのレターを要約してみよう。
【第1のグループ】「現預金、債券などの貨幣価値に立脚した資産」
これらは通常安全と考えられているが、実はもっとも危険だ。
というのは貨幣の価値は政府や中央銀行が決めるもので、インフレによってこれらの資産の購買力は減ってしまう。
安定した通貨に対する人々の願いが強い米国でさえ、ドルの価値はびっくりするほど下落してきた。
私がバークシャーの経営に就いた1965年と比較してみると、現在ではドルは86%も下落し、当時1ドルで買えたものがいまでは7ドルも払わないと買えない。
債券はどうか。
同じ期間、つまり1965年以降、今日(2012年)まで47年間、米国債、それも1年物の短期国債で毎年期限が来るとロールオーバーする(次の1年物に乗り換える)という方法で運用していったとしたら、どういった結果になっただろうか。
平均で年率5.7%の金利がついた計算になるが、利息に対して税金を払わなければならなかったことを考慮すると、この運用方法でもこの間のインフレに勝てない。
47年間の間に購買する力はまったく増えないのだ(もちろん短期の米国債は流動性、換金性の面で優れているのだが・・)。
【第2のグループ】「それ自体は何かを生み出すものではないが、誰か別の人が購買してくれるだろうとの思いで、多くの人が購入している資産」
17世紀にはチューリップの球根であったし、現在ではゴールド(金)だ。
金は産業用や装飾用に使われるが、それだけの用途では、とてもではないけれど毎年生産される金の量を吸収することができない。
ほとんどの場合、人々は金を違った目的で所有する。
つまり誰か別の人が(できればもっと高い)値をつけて購入してくれるだろうという希望だ。
人類がこれまで生産してきた金の総量(地上在庫)は17万トン。1辺68フィートの立方体にしかならず、野球場の内野部分にすっぽりと収まってしまう。
この金すべてを現在の金価格1オンス1750ドル(訳者注:2013年12月末現在1200ドル;2022年3月11日現在1999ドル)で計算すれば、9.6兆ドルになる。
この金額はどういう金額だろう。
全米の農耕地(4億エーカーあって毎年2000億ドルの農作物を産出している)を購入して、なおかつエクソン・モービル社(毎年400億ドルを稼ぎ出している)を16社買った上に、さらに1兆ドルのお釣りがくる金額だ。
これから100年経っても全米の農耕地は価値ある農作物を産出し続けるだろうし、エクソン・モービルは稼ぎを上げ続けるだろう。
一方、金の方はというと、何も生み出さない。
あなたは金を優しくなでることができるが、金は何も答えないだろう。
【第3のグループ】「価値を生み出すことができる資産」
会社(会社が発行する株式を持つことで会社の所有者になれる)、農地、不動産である。
これから100年後、通貨が金本位性に変わろうと、貝殻をベースにしようと、サメの歯を使おうと、あるいは今日のように紙に印刷をしたものを使おうと、人々が必要とするものは、究極のところ、農産物であったり、工業製品であったり、住居スペースだ。
これらのものを生み出すことができるものが、これから先も価値を維持し続ける。
2008年のリーマンショック直後、多くの人々は「現金こそもっとも貴重で王様だ(Cash is King)」と言った。
今となって分かることだが、このときにやるべきことは現金を手にするのではなくて、その現金を使って株や土地を買うことだったのだ。
『荒廃する日本~これでいいのかジャパンインフラ』(日経BP社;2019年)。
本書は国土交通省出身の専門家10名が著したもの。
A4版という、本としては大判な体裁で、カラー写真や図版が豊富。
あっという間に読み終えてしまいました。
国土交通省関係者が書いたものだけに『もっとインフラ投資、公共事業投資を!』といった主張で全編が貫かれています。
つまり政治的に中立という訳ではありません(予算をコントロールする立場の財務省からすると違う意見も出てきそう)。
しかし地球温暖化の影響によるのか、異常気象が頻繁に日本列島を襲うようになっているーこうした現実は無視できないでしょう。
本書は、道路、治水・利水、下水道、港湾、都市といった形で章立てされています。
個人的には、下水の章と、港湾の章については、知らなかったことが随分とあり、勉強になりました。
都市の章は、コンパクトシティを推進する立場。成功例としてLRTシステムの富山市などがあげられています。
しかし、LRTシステムの富山市、あるいは青森市などには、現場から様々な意見が上がっていることも事実(『こちら』および『こちら』)。
そういった声を踏まえた著述も欲しかったと思います。